ネパールの地震とOKバジさん
ネパールで大地震が起きたと聞いたときに
いちばん先に考えた人物がいます。
それは「OKバジ」こと垣見一雅さんです。
今日は垣見一雅さんについて書きます。
自分の過去記事を検索してみて,
これまで書いていないことに驚きました。
(授業で話したことと混同していたのかも。)
彼のことを簡単に説明するには,
彼の著作の副題が一番いいでしょう。
「OKバジ」の副題は
「村人に魅せられ,
ネパールの山奥に住みついたひとりの日本人」。
そうなんです。今でも1年のほとんどをネパールに住み
現地の人のために活動を続ける日本人なのです。
雨季には日本に戻り,
支援者のために講演活動などを行います。
タイトルの「OKバジ」は彼に与えられたニックネーム。
何を頼んでも「OK」「OK」と引き受けるので
ネパールの村人から「OKおじさん」の意味で
親しみを込めて「OKバジ」と呼ばれるようになりました。
私が彼のことを知ったのはかつての勤務校が
生徒会活動の一環としてネパールに教室を建てようという
募金活動をしていたからです。
仙台在住の活動家を通じてOKバジさんと交流を持ち
OKバジさんに募金を渡し,ジャミレ村というところに
校舎(2教室)を建ててもらいました。
そして,
現地の写真などを持って中学校にも来てくださいました!
(写真の様なヒゲのおじさんが来られるのかと思ったら
ヒゲはありませんでした。)
教室ができたおかげで,子どもたちは
遠くの学校まで何時間もかけて行かなくてすみました。
でも,教師の確保の問題,学用品の問題など
問題はまだまだあるようです。
私は,数年でその学校を転勤になってしまったので
その後の活動が気になっていました。
そして,今回のネパールの大地震。
こちらの地方紙に,かつての勤務校のことが載っていました。
**************************
ネパールで起きた大地震で、**市の**中(生徒423人)の生徒が28日、現地を支援する募金活動に乗りだした。同校は以前、ネパールの学校建設費用を寄付するなどつながりが深く、今回も復興のために役立ちたい考えだ。
社会奉仕活動に取り組む生徒会のJRC委員会が同日、全校集会で募金を提案。寄付を呼び掛けるポスターを作り、校舎内に張った。30日と5月1日の2日間、昇降口に募金箱を置き、集まった寄付を支援団体などを通じて現地に届ける。
同校は1993年、ネパールの恵まれない教育環境を知ったことをきっかけに校内で募金活動を始め、2001年にネパール中部の村に約18万円を寄贈。学校建設に役立ててもらった。
その後も毎年寄付を続け、東日本大震災発生直後の11年4月には、現地の子どもたちから被災地を励ます手紙や写真が届いた。
JRC委員長の3年*****君(14)は「ネパールの詳しい状況は分からないが、被災した東北と同じく大変だと思う。少しでも力になれるよう応援する気持ちを届けたい」と話す。
**************************
教え子の後輩たちはしっかりその精神を引き継いでいるようで
ホッとしました。
東日本大震災のときは,ネパールの子どもたちから
励ましをもらっていたんですね。(涙)
垣見さんの著作「OKバジ」には,この学校のことも
支援活動の例として載っているんですよ。
ジャナプリヤ小中学校2教室増築
ジャミレ群,ジャミレ村
**中学校(宮城)
これは先日仙台市内で同乗者に撮ってもらった写真です。
(勝手に撮ってすみません。)
ネパールの国旗や募金箱を持っていました。
赤と黄色の民族衣装を着たネパールの人と思われる女性もいました。
募金活動を終え帰るところでしょうか。
なぜ,OKバジさんが,ネパールに住みつくようになったのか。
OKバジさんはご無事だったのか。
OKバジさんを通じて,震災の義援金を渡す手はあるのか。
ちょっと長くなりそうなので,今日はここでやめます。
OKバジさんについて続きはまた書きます。
*「OKバジさん」という言い方は「OKおじさんさん」という言い方で
ちょっと変ですが・・・。
過去問は休みます。
いちばん先に考えた人物がいます。
それは「OKバジ」こと垣見一雅さんです。
今日は垣見一雅さんについて書きます。
自分の過去記事を検索してみて,
これまで書いていないことに驚きました。
(授業で話したことと混同していたのかも。)
彼のことを簡単に説明するには,
彼の著作の副題が一番いいでしょう。
「OKバジ」の副題は
「村人に魅せられ,
ネパールの山奥に住みついたひとりの日本人」。
そうなんです。今でも1年のほとんどをネパールに住み
現地の人のために活動を続ける日本人なのです。
雨季には日本に戻り,
支援者のために講演活動などを行います。
タイトルの「OKバジ」は彼に与えられたニックネーム。
何を頼んでも「OK」「OK」と引き受けるので
ネパールの村人から「OKおじさん」の意味で
親しみを込めて「OKバジ」と呼ばれるようになりました。
私が彼のことを知ったのはかつての勤務校が
生徒会活動の一環としてネパールに教室を建てようという
募金活動をしていたからです。
仙台在住の活動家を通じてOKバジさんと交流を持ち
OKバジさんに募金を渡し,ジャミレ村というところに
校舎(2教室)を建ててもらいました。
そして,
現地の写真などを持って中学校にも来てくださいました!
(写真の様なヒゲのおじさんが来られるのかと思ったら
ヒゲはありませんでした。)
教室ができたおかげで,子どもたちは
遠くの学校まで何時間もかけて行かなくてすみました。
でも,教師の確保の問題,学用品の問題など
問題はまだまだあるようです。
私は,数年でその学校を転勤になってしまったので
その後の活動が気になっていました。
そして,今回のネパールの大地震。
こちらの地方紙に,かつての勤務校のことが載っていました。
**************************
ネパールで起きた大地震で、**市の**中(生徒423人)の生徒が28日、現地を支援する募金活動に乗りだした。同校は以前、ネパールの学校建設費用を寄付するなどつながりが深く、今回も復興のために役立ちたい考えだ。
社会奉仕活動に取り組む生徒会のJRC委員会が同日、全校集会で募金を提案。寄付を呼び掛けるポスターを作り、校舎内に張った。30日と5月1日の2日間、昇降口に募金箱を置き、集まった寄付を支援団体などを通じて現地に届ける。
同校は1993年、ネパールの恵まれない教育環境を知ったことをきっかけに校内で募金活動を始め、2001年にネパール中部の村に約18万円を寄贈。学校建設に役立ててもらった。
その後も毎年寄付を続け、東日本大震災発生直後の11年4月には、現地の子どもたちから被災地を励ます手紙や写真が届いた。
JRC委員長の3年*****君(14)は「ネパールの詳しい状況は分からないが、被災した東北と同じく大変だと思う。少しでも力になれるよう応援する気持ちを届けたい」と話す。
**************************
教え子の後輩たちはしっかりその精神を引き継いでいるようで
ホッとしました。
東日本大震災のときは,ネパールの子どもたちから
励ましをもらっていたんですね。(涙)
垣見さんの著作「OKバジ」には,この学校のことも
支援活動の例として載っているんですよ。
ジャナプリヤ小中学校2教室増築
ジャミレ群,ジャミレ村
**中学校(宮城)
これは先日仙台市内で同乗者に撮ってもらった写真です。
(勝手に撮ってすみません。)
ネパールの国旗や募金箱を持っていました。
赤と黄色の民族衣装を着たネパールの人と思われる女性もいました。
募金活動を終え帰るところでしょうか。
なぜ,OKバジさんが,ネパールに住みつくようになったのか。
OKバジさんはご無事だったのか。
OKバジさんを通じて,震災の義援金を渡す手はあるのか。
ちょっと長くなりそうなので,今日はここでやめます。
OKバジさんについて続きはまた書きます。
*「OKバジさん」という言い方は「OKおじさんさん」という言い方で
ちょっと変ですが・・・。
過去問は休みます。





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