「八十日間世界一周」の旅(3) エリザベス・ビスランドの冒険

ジュール・ベルヌの冒険小説「八十日間世界一周」から17年後に,
本当に80日間で世界一周が可能かの旅に出たネリー・ブライ。
しかし,同じ日に世界一周の旅に出たもう一人の女性がいたのです!
その人の名はエリザベス・ビスランド,28歳
画像


雑誌「コスモポリタン」を買収したジョン・ブリスベン・ウォーカー
大々的に宣伝していたネリー・ブライの世界一周の企画を知って
自分の雑誌でも同じ企画をしようと考えました。
画像


ネリー・ブライが出発してから急きょ,会社に呼ばれたのが
文才の評価が高かったエリザベス・ビスランド(Elizabeth Bisland)

編集長  「急な話だが,今から出張に行ってもらえないか?」
エリザベス「出張? どちらにですか?」
編集長  「世界一周だ。今から出発し,80日以内に帰ってきてくれ」
エリザベス「明日は約束が・・・。外国など行ったこともありません」
編集長  「とにかく君に行ってほしいんだ。6時間後だ」


6時間後(笑)!

エリザベスは呼ばれてから6時間後に世界一周の旅に出るのです。
どんな気持ちで旅の支度をしたのでしょう。
(パスポートなどはその間に準備したのでしょうか。)

なぜ彼女が選ばれたのか?

推測されるのは,文芸欄を担当していた才色兼備の彼女なら
いわゆる便乗企画でも,世間の風当たりをかわせるだろうという
計算があったのでは,と言われているようです。

なぜ彼女は承諾したのか?

翌日には友人とお茶を飲む約束をしていたのに,
女性一人で世界一周など危険極まりないのになぜ受け入れたのか?

報酬も約束されたのかもしれませんが,世界を見て文章を書いて
みたいという文筆家としての欲求があったのかもしれませんね。

ネリーの蒸気船が東回りでニューヨークの港を出た日の午後6:00,
エリザベスはニューヨークのグランド・セントラル駅にいました。

彼女を乗せた大陸横断鉄道はサンフランシスコに向け出発しました。
ネリーとは逆の西回りです。
画像


これは後に船に乗っている姿のエリザベス。
画像



ネリー・ブライはペンネームで,本名はエリザベス・ジェーン・コクラン。
奇しくも,同じ日に旅立った2人の名前は同じエリザベス。

紛らわしいので,東回りのエリザベスはペンネームのネリー・ブライで
記事を書いていきます。

さあ,東回りと西回りの世界一周。80日以内で戻れるのか?
どちらが先に世界一周をやり遂げるのか?


来週につづく!

この記事へのコメント

2017年02月19日 08:41
おはようございます。

 『友人とお茶を飲む約束』、デートだったのかなあ?
 それに打ち勝った”好奇心”、面白いお話しですね。

 ちなみに、この当時はまだパスポートと呼べるものは存在していません。パスポートとしての体裁が整いだすのは、第一次世界大戦の後になります。この当時外国への旅行へはしかるべき機関が発行した身分証明書がパスポートの役割を持っていました。各国に置かれた大使館や通商代表部等とか、その地の政府宛に書かれた書簡の形態です。身分や旅行目的が書かれていて、持参者の身分を保証し、その安全を図るよう依頼する文書になっています。現在のビザに似ています。
 と、言っても、これは公の仕事が目的の場合で、私的な旅行や商用の場合はそれすら持っていない場合も多かったようです。
2017年02月19日 09:22
あきあかねさん
おはようございます。
「友人とのデート」いいところに気づかれましたね。実はこれについては数回後に書く予定です。お茶の相手とはいったい誰なのでしょう?
いわゆる旅券についてはちょっと疑問に思いつつ,そのまま思ったことを書きました。やはり,今ほど入国管理については意識はなかったんですね。補足していただきありがとうございました。

この記事へのトラックバック