「八十日間世界一周」の旅(4) ネリーとエリザべスの「競争」

ジュール・ヴェルヌの小説「八十日間世界一周」にように本当に
80日間で世界一周ができるかを競った2人の女性
ネリー・ブライはニューヨーク・ワールド紙の願いを背負い,
エリザベス・ビスランドはコスモポリタン誌の威信を背負い
ニューヨークを旅立ちました。

時は1889年11月14日
ネリーは東回りで船で,エリザベスは西回りで鉄道で出発しました。
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2人がとったルートはそんなに違いはありません。
東回りか西回りかの違いです。
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ネリーは8日後の11月22日,フランスのアミアン駅で
「八十日間世界一周」の作者ヴェルヌと彼の妻に出迎えられました。

ネリーはジュール・ヴェルヌの自宅を訪問し,
ヴェルヌが小説を書くために使った地図でアドバイスをもらったとか。
(これは舞台か何かの画像)
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その後,ネリー・ブライはスエズ運河を通り,インド洋を航海し,
41日目の12月26日,香港に到着します。
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そこでネリーは初めて知るのです
エリザベス・ビスランドが自分と同じ企画で世界一周をしていると!
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移動を続けるネリーに,ライバルの情報は伝わっていなかったのです。
(ジュール・ヴェルヌも知らなかったのか,言わなかったのか。)

そして知るのです。
エリザベスは自分が香港に着く5日前に香港を旅立ったと。

彼女は焦ったことでしょう。

80日間で回るというプレッシャーの他に,競争もしているなんて!
これから日本に寄って太平洋の大海原を渡り,アメリカを横断!
負けたらどうしよう・・・。

さて,ネリーとエリザベスは面識があったのでしょうか?

同じニューヨークのジャーナリズムの世界,出発の2年前,
女性をテーマにした会合で2人は会っていた
のです。

ネリーの頭にはきっとエリザベスの顔が思い浮かんだことでしょう。
「負けられない・・・」


ネリー・ブライは香港から横浜にわたり,そしてRMSオセアニック号
太平洋を渡ります。
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なんと太平洋航路のこの船は最新の蒸気船ではなく,見ての通り,
三本マストの帆船です。

実はネリーが横浜からサンフランシスコへ向かうこのオセアニック号は,
エリザべスが逆ルートでサンフランシスコから乗ってきた船でした。

それぞれの太平洋航海にかかった日数を見てみましょう!

ネリー・ブライ
横浜~サンフランシスコ(1890年1月11日~1月21日) 10日間

エリザベス・ビスランド
サンフランシスコ~横浜(1889年11月11日~12月8日) 17日間


どうしてこんなに差が出てしまったのでしょう?

勘のいい人はおわかりりでしょう・・・偏西風ですね。

ちなみに大西洋もネリーの方が3日間少なく横断しています。

ここに,ネリーとエリザベスの旅の旅程表(itenerary)があります。
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結果,どちらが早く世界一周をしたのか!?
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アメリカ国内では,どちらが勝つか賭けたり,盛り上がったそうです。

1890年1月25日,公式到着地としていたニュージャージーに
ネリー・ブライが乗った列車が到着しました。

ネリーは72日と6時間11分14秒という驚異的な速さで
世界一周を成し遂げ,エリザベスに勝ちました。

エリザベスがニューヨークに戻ったのは,
ネリーに遅れること4日後のことでした。


世界一周の競争はネリーが勝ちましたが,後ろ盾があったとはいえ,
たった一人で世界一周をやり遂げた2人の女性には敬意しかありません。


次回からは2人が書き残した日本のことなどを書きます。

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