「八十日間世界一周」の旅 (5)ネリー・ブライと日本と

小説の「八十日間世界一周」よりも短く,72日間という驚異の速さで
世界一周を成し遂げたネリー・ブライが熱烈な出迎えを受けたことは
言うまでもありません。もちろん当時の世界記録だそうです。

ネリーはその旅行記を本にまとめました。
その名もずばり「72日間世界一周」 (Around the World in 72 Days)
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ネリーは旅行54日目の1890年1月7日から1月11日までの5日間
日本に滞在し,横浜,東京,鎌倉を観光しました。

彼女の文章を見てみましょう。

Around the World in Seventy-Two Days, by Nellie Bly
Chapter 15. One Hundred and Twenty Hours in Japan.


「72日間世界一周」 ネリー・ブライ著

第15章 日本での120時間

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彼女はこの章の中で,日本をこう呼びました。

Japan, the land of love-beauty-poetry-cleanliness

愛と美しさと詩と清潔の国,日本


おそらく,香港の印象があまりよくなかったのではないでしょうか。

The Japanese are the direct opposite to the Chinese. The Japanese are the cleanliest people on earth, the Chinese are the filthiest; the Japanese are always happy and cheerful, the Chinese are always grumpy and morose; the Japanese are the most graceful of people, the Chinese the most awkward; the Japanese have few vices, the Chinese have all the vices in the world; in short, the Japanese are the most delightful of people, the Chinese the most disagreeable.

日本人と中国人は正反対だ。日本人は地球上で最も清潔な国民で,中国人は最も汚い。日本人はいつも楽しく陽気で,中国人はいつも気難しく不機嫌。日本人は最も上品な国民で,中国人は最も落ち着かない。日本人は道徳的で,中国人は世界中でいちばん不道徳。つまり,日本人は最も楽しい国民で,中国人は最も不愉快。


香港ではよほどひどいことを体験したのでしょう。
日本をほめすぎですが,いい印象を持ったようです。

A Japanese reporter from Tokyo came to interview me, his newspaper having translated and published the story of my visit to Jules Verne. Carefully he read the questions which he wished to ask me. They were written at intervals on long rolls of foolscap, the space to be filled in as I answered. I thought it ridiculous until I returned and became an interviewee. Then I concluded it would be humane for us to adopt the Japanese system of interviewing.

私にインタビューするために東京から一人の日本人記者がやってきました。彼の新聞は私が(この旅行中に)ジュール・ヴェルヌを訪ねた話を日本語に訳して記事にしていました。彼は尋ねたい質問を注意深く読み上げました。その質問は半紙を長く丸めたものに間隔を置いて書かれており,その空いている部分は私が答えたことを書きいれるためのものでした。私は返答しインタビューを受けるまでは,それはばかげていると思いました。でも,日本式のインタビューのやり方を私たちが受け入れることが思いやりのあることだと私はそう結論付けました。


ネリー・ブライの世界一周は日本でも話題になっていたことが
上の文章からもわかります。

ネリーも,「郷に入っては」と受け入れているところに好感が持てます。

I went to Kamakura to see the great bronze god, the image of Buddha, familiarly called Diabutsu. It stands in a verdant valley at the foot of two mountains. It was built in 1250 by Ono Goroyemon, a famous bronze caster, and is fifty feet in height; it is sitting Japanese style, ninety-eight feet being its waist circumference; the face is eight feet long, the eye is four feet, the ear six feet six and one-half inches, the nose three feet eight and one-half inches, the mouth is three feet two and one-half inches, the diameter of the lap is thirty-six feet, and the circumference of the thumb is over three feet.

私は鎌倉に大きな銅像の仏陀像を見に行きました。それは親しみを込めて「大仏」Diabutsuと呼ばれています。それは2つの山のふもとの緑の谷間に建っています。それは1250年に有名な鋳物師,大野五郎右衛門によって建てられました。高さは50フィート(1フィートは約30センチ),日本式の座像で,胴回りが98フィート,顔の長さが8フィート,目は4フィート,耳は6フィート6.5インチ,鼻が3フィート8.5インチ,口が3フィート2.5インチ,ひざの直径は36フィート,親指の周囲は3フィートを越えています。 


詳しい描写ですね。
鋳物師の棟梁,大野五郎右衛門についてよく調べています。

当時(明治中期)の鎌倉の大仏。
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The people in Tokio are trying to ape the style of the Europeans. I saw several men in native costume riding bicycles. Their roads are superb. There is a street car line in Tokio, a novelty in the East, and carriages of all descriptions. The European clothing sent to Japan is at least ready-made, if not second hand. One woman I saw was considered very stylish. The bodice of a European dress she wore had been cut to fit a slender, tapering waist.

東京の人々はヨーロッパの服装を猿まねしようとしています。私は伝統的な日本の服装を着て自転車に乗っている数人の男性を見ました。日本の道路は素晴らしい。東京には路面電車の線路があり,それは東洋では目新しい物であり,あらゆる種類の乗り物があります。日本に送られた西洋の衣装は古着とまではいかなくても少なくとも既製品です。私が見たひとりの女性はとても上品でした。彼女が身につけていた西洋のドレスの胴回りは細くくびれた腰に合うように仕立てられていました。


明治中期の服装や交通の様子が描かれていますね。


English is taught in the Japan schools and so is gracefulness. The girls are taught graceful movements, how to receive, entertain and part with visitors, how to serve tea and sweets gracefully, and the proper and graceful way to use chopsticks. It is a pretty sight to see a lovely woman use chopsticks.

日本の学校では英語が教えられ,また礼儀正しさもまた教えられます。少女たちは礼儀正しい所作,つまり,客をどう歓迎し,もてなし,見送るか,とか,優雅なお茶とお菓子の出し方とか,正しく優雅な箸の使い方を教わります。美しい女性が箸を使うさまはいい眺めであります。


日本の滞在が5日にも及んだのは,
よほど日本が気に入ったからかもしれませんね。


The Japanese are not only pretty and artistic but most obliging. A friend of mine who guided us in Japan had a Kodak, and whenever we came upon an interesting group he was always taking snap shots. No one objected, and especially were the children pleasant about being photographed. (中略)
The only regret of my trip, and one I can never cease to deplore, was that in my hasty departure I forgot to take a Kodak.


日本人はかわいく芸術的であるだけでなく,とても気さくです。日本を案内してくれた私の友人はコダックのカメラを持っていて,おもしろそうな集団に出会うと,彼はいつも写真を撮りました。誰も拒まず,特に子どもは写されることに喜んでいました。(中略)
私の旅行で唯一の後悔で悔いいて止まないのは,慌ただしい出発の中で,コダックのカメラを持ってくるのを忘れたことです。


もし彼女がコダックを持ってきて,日本の写真を撮っていたら
おもしろい写真がたくさん撮れたことでしょう。


以上でネリーが日本について書いた文章の一部の紹介を終わります。
さすが,ジャーナリスト。いろいろな観点で文章を書いています。



ネリーは世界一周の5年後の1895年に,ある富豪と結婚し,
ジャーナリズムから一時引退しました。

しかし,1904年に夫が死んだ後,その会社の管理を引き継ぎ,
そして再び,ジャーナリズムの世界に復帰しました。

1913年の女性投票権協定や
第一次世界大戦のヨーロッパ東部戦線のレポートを行いました。

1922年1月27日,ネリー・ブライ(本名エリザベス)は
57歳で肺炎で亡くなりました
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今でもニューヨークのブルックリン区には,彼女の名前がついた
「八十日間世界一周」をテーマにした小さな遊園地があるそうです。
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最後に彼女はたった1つのバッグで世界を回りました
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おそらく,いらなくなったものは捨てて,
必要なものは現地で調達していったのでしょう。

彼女のかばんは現在,ジャーナリズムの歴史を展示する
ワシントンDCの「Newseum」に展示してある
そうです。
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この記事へのコメント

2017年02月22日 08:38
おはようございます。

 滞在時間が短かったこともあるのでしょうが、かなり好印象で描かれていますね。

 この時代の中国に関しては、丁度清王朝の末期で、各国から簒奪を受けていた時代ですし、庶民はカオスの中に置かれていたと思います。
 衰退を続けている最後の王朝の中国と、御一新で上り調子の日本と、比較をするのは酷なのかなあ、と思っています。
2017年02月22日 17:42
こんばんは!
とても良いお話でした。

昔 八十日間世界一周を見ましたが
此方の方がず---と!感激でした(*^▽^*)
2017年02月23日 20:42
あきあかねさん
こんばんは。返事が遅くなりました。
香港と言っても,イギリス支配下ですから,民族の自意識も低かったのだろうと思います。中国については悪く言いすぎ,日本についてはほめすぎですね。
「カオス」まさにその通りだったんでしょう。ありがとうございました。
2017年02月23日 20:46
みなとさん
こんばんは。返事が遅くなりました。
私は映画の方は見ていません。音楽は有名ですね。おほめいただき,訳して記事を書いた甲斐がありました。ありがとうございました。

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