「八十日間世界一周」の旅 (6)エリザベス・ビスランドと日本と
「八十日間世界一周」の旅に挑んだ2人の記事も今日が最後です。
ネリー・ブライとエリザベス・ビスランドの競争は4日の差で
ネリーが先に世界一周を成し遂げました。
ネリーがその旅行記を本にしたことは前回紹介しましたが,
今日はエリザベスのその後の話です。
エリザベスもまた,彼女の旅行を一冊の本にしました。
In Seven Stages: A Flying Trip Around the World(1891年)
もともと文芸記事を書いていたエリザベスです。
彼女の文章はどこか文学を感じさせます。
日本について,こんな文章が序盤にあります。
At last there comes a day when one rises in the morning and the sailors, pointing to the horizon, say, "That is Japan," and one cries with cheerful excitement, "Yes! yes!" though there is nothing but the same monotonous sea and sky visible to the unpractised eye.
ついにその日がやってきた。夜が明け船員たちが水平線を指さして「日本だ」と言う。一人が明るく興奮しながら叫ぶ「そうだ! そうだ!」。初めての私の目に見えるものは,これまでと同じ単調な海と空だけど。
その後,彼女は富士山の美しさに感動します。
Fujiyama . . . the divine mountain!
(中略)
Twelve thousand three hundred and sixty-five feet high, it rises up alone and unmarred by surrounding peaks; alone in fair calm beauty – the highest mountain in all the islands.
富士山,それは神聖な山!
(中略)
高さ12,365フィート,周辺の山にさえぎられることもなく単独でそびえたつ。とても静かに美しく孤高な山。日本の島々の中でいちばん高い山。
正直,私も初めて富士山を見たときは感動しました。
ネリー・ブライが日本に5日間滞在したのに対して,
エリザベスは横浜に着いて36時間後には香港に向かいました。
横浜を出て香港に向かうときも富士山を眺めました。
We have one more glimpse of Fujiyama the next morning as Japan sinks out of sight.
(夜中に出発し)次の朝,日本が視界から消えるとき,私たちはもう一度富士山を見ました。
今日のメインはこの先なので,先を急ぎます。
エリザベスは世界一周後は,この旅行記を書きました。
そして法律家と結婚しますが,旧姓のまま執筆を続けます。
その内容は旅行記とは無縁の文学的な題材でした。
これは彼女が出版した本です。2巻本になっています。
この本は「ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡」
(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)
このシリーズを読まれてきた方は覚えているでしょうか?
エリザベスが世界一周の旅を頼まれたとき
「明日はお茶の約束がある」と答えたのを。
実は,あのお茶の相手とは同じ会社で文章を書いていた
ラフカディオ・ハーンではなかったのかと言われています。
ハーンはずっと日本に関心があり,
エリザベス帰国後,きっといろいろな日本の出来事を聞いたことでしょう。
これは若き日のラフカディオ・ハーン。
もちろん,その後のハーンは日本に来て
「怪談」を書く小泉八雲となったことは多くの人が知っていることです。
エリザベスとハーンは恋人だったのでは?
という見方もあるそうです。
エリザベス・ビスランドは1929年1月6日に肺炎のため亡くなりました。
彼女の墓地はニューヨークのウッドローン墓地です。
なんとこの墓地には,7年前に同じく肺炎で亡くなった
あのネリー・ブライも眠っているのです。
ネリー・ブライとエリザベス・ビスランドの競争は4日の差で
ネリーが先に世界一周を成し遂げました。
ネリーがその旅行記を本にしたことは前回紹介しましたが,
今日はエリザベスのその後の話です。
エリザベスもまた,彼女の旅行を一冊の本にしました。
In Seven Stages: A Flying Trip Around the World(1891年)
もともと文芸記事を書いていたエリザベスです。
彼女の文章はどこか文学を感じさせます。
日本について,こんな文章が序盤にあります。
At last there comes a day when one rises in the morning and the sailors, pointing to the horizon, say, "That is Japan," and one cries with cheerful excitement, "Yes! yes!" though there is nothing but the same monotonous sea and sky visible to the unpractised eye.
ついにその日がやってきた。夜が明け船員たちが水平線を指さして「日本だ」と言う。一人が明るく興奮しながら叫ぶ「そうだ! そうだ!」。初めての私の目に見えるものは,これまでと同じ単調な海と空だけど。
その後,彼女は富士山の美しさに感動します。
Fujiyama . . . the divine mountain!
(中略)
Twelve thousand three hundred and sixty-five feet high, it rises up alone and unmarred by surrounding peaks; alone in fair calm beauty – the highest mountain in all the islands.
富士山,それは神聖な山!
(中略)
高さ12,365フィート,周辺の山にさえぎられることもなく単独でそびえたつ。とても静かに美しく孤高な山。日本の島々の中でいちばん高い山。
正直,私も初めて富士山を見たときは感動しました。
ネリー・ブライが日本に5日間滞在したのに対して,
エリザベスは横浜に着いて36時間後には香港に向かいました。
横浜を出て香港に向かうときも富士山を眺めました。
We have one more glimpse of Fujiyama the next morning as Japan sinks out of sight.
(夜中に出発し)次の朝,日本が視界から消えるとき,私たちはもう一度富士山を見ました。
今日のメインはこの先なので,先を急ぎます。
エリザベスは世界一周後は,この旅行記を書きました。
そして法律家と結婚しますが,旧姓のまま執筆を続けます。
その内容は旅行記とは無縁の文学的な題材でした。
これは彼女が出版した本です。2巻本になっています。
この本は「ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡」
(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)
このシリーズを読まれてきた方は覚えているでしょうか?
エリザベスが世界一周の旅を頼まれたとき
「明日はお茶の約束がある」と答えたのを。
実は,あのお茶の相手とは同じ会社で文章を書いていた
ラフカディオ・ハーンではなかったのかと言われています。
ハーンはずっと日本に関心があり,
エリザベス帰国後,きっといろいろな日本の出来事を聞いたことでしょう。
これは若き日のラフカディオ・ハーン。
もちろん,その後のハーンは日本に来て
「怪談」を書く小泉八雲となったことは多くの人が知っていることです。
エリザベスとハーンは恋人だったのでは?
という見方もあるそうです。
エリザベス・ビスランドは1929年1月6日に肺炎のため亡くなりました。
彼女の墓地はニューヨークのウッドローン墓地です。
なんとこの墓地には,7年前に同じく肺炎で亡くなった
あのネリー・ブライも眠っているのです。
この記事へのコメント
とても興味深く拝見いたしました。
なるほど、彼女のお茶の相手はラフカディオ・ハーンだったかもしれないんですね。
ラフカディオ・ハーンが小泉八雲になるには彼女が大きな役割を果たしたのかもしれないんだ。
とても面白いお話しでした。
おはようございます。
人は意外なところでつながっているものだと感じています。
もう少しだけ続きを書く予定です。