Haiku in English on Sunday (343) 目覚めるといつも私が居て遺憾

日曜日は俳句の紹介と英訳。
3月は入試に卒業に,学校現場は忙しく過ぎていきます。
でも自然は人の営みなど知らん顔で着実に季節を前進させ,
先週は咲き始めの梅も昨日は満開の様子でした。
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仙台は日々春めいてきており,まさに春眠暁を覚えず状態です。


目覚めるといつも私が居て遺憾  池田澄子
(めざめるといつももわたしがいていかん)

池田澄子さんはこのシリーズ最多の11回目の登場。
現代俳句を牽引する天才だと私は思っています。
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「池田澄子百句」から。もとは「たましいの話」(2005年)所収。

池田澄子百句
創風社出版


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今日の句は無季の句ですが,背景に「春眠」という季語を感じます。
また句集「たましいの話」では春の句の中に配置されています。

ご飯を食べるのも眠るのも起きるのも「自分」なのは当たり前。
朝,目が覚めたのは他の誰でもない「自分」。

目が覚めたら自分はスターになっていたり,大富豪になっていたり
まあ,一夜にしてそんなことを実現する人はまずいないわけで・・・

あー,今日もこの自分を生きていくんだなあ。
どこかあきらめにも近い感情がわいてくる。


実際,日常の生活ではそんなことを考える暇もなく,顔を洗って仕事や学校に出かけたり,家事に追われるのですが・・・

こんなことを考えてしまうのは春のせいでしょうか。
目覚めたら,今日もいつもの私で,ああ残念。

でも,この句には,どこか面白おかしい軽妙さがあります。
おそらくそれは「遺憾」という漢語でしかも政治家の常套句を持ってきたことによるのでしょう。

広辞苑より。

い‐かん【遺憾】
思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。



人間,そんな思い通りになんかなりません。
親からもらったこの体を引きずって生きていくんです。

どこか自分を上から眺めているような,落語の「粗忽長屋」のような不思議な一句です。


では,英訳してみます。

目覚めるといつも私が居て遺憾  池田澄子

Woke up and
Found myself lying as usual
That's a pity!



池田さんの春の句で,以前こんな句について書きました。

また春が来ることは来た鰐の顎  池田澄子
(またはるがくることはきたわにのあご)

こんな句が作れるのは彼女しかいません。

この句については過去記事で。 → こちら

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