役者ウィリアム・ジレットと日本人・尾崎行隆

先週,アメリカとイギリスで舞台「シャーロック・ホームズ」の主役を演じたアメリカン人役者のウィリアム・ジレット(1853-1937)がホームズのイメージを決定づけたことを書きました。

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ジレットは1853年,コネチカット州生まれ。

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1913年,コネチカット川をハウスボートで航行中にニューロンドン郡に土地を見つけ,敷地184エーカー(74万平方メートル以上)を購入
翌年から丘の上に自宅を建設,敷地内には鉄道を敷いたそうです。

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ジレットは1919年から亡くなる1937年までここで暮らしました。

現在はコネチカット州が購入し「ジレット城」と呼ばれ,ジレットキャッスル州立公園として公開されているそうです。

そして,ジレットの後半の人生には,ある日本人が関わってきます。

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この日本人については,あるネット上の英文から。

ジレットはこの土地を見つける前から,自分の船にある日本人を雇っていました・・・

While on the boat a gentleman from Japan, Yukitaka Osaki, was hired as a Cabin Boy. Gillette came to trust Osaki so much that he made him his valet. When Gillette moved into the castle Osaki came with him and lived in a cottage at the bottom of the hill near the ferry slip.

船上では尾崎行隆というある男性が乗務員として雇われていました。ジレットはオサキ(尾崎)のことをたいへん信頼するするようになり,彼を付き人としました。ジレットがこの城に引っ越したとき,尾崎も同行し,丘のふもとの船着き場の近くのコテージに住みました。



こちらがオサキ・ユキタカ(尾崎行隆)。

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尾崎が住んだコテージは今も残されているようです。

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Osaki was a familiar sight to residents of the village as he daily rode his donkey to the local post office. A portion of every evening found Gillette and Osaki in consultation regarding the schedule for the following day.

尾崎は毎日ロバに乗って郵便局まで出かけたので,村人にとってよく見かける人物でした。毎晩ある時間になると,ジレットと尾崎が翌日のスケジュールについて打ち合わせをしている姿が見られました。


これはロバ(馬?)を引いている尾崎行隆。

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Osaki, like Gillette, was in a state of semi-retirement during these years; but he managed to instill in the junior servants an almost awe-like respect for his seniority. This unique collaboration lasted over forty years until Gillette's death in 1937.

ジレットのように尾崎もまた何年もの間,半分隠居のような状態にありました。しかし,彼は若き使用人たちに主人には畏敬に近い尊敬の念を持つように教え込みました。このような2人独特の協調関係は1937年にジレットが亡くなるまで40年以上も続きました。

In his will, Gillette provided lifetime use of the cottage and surrounding gardens for Osaki. The faithful servant outlived William Gillette by five years. He is interred in the Hadlyme cemetery.

遺言により,ジレットは尾崎にコテージと周辺の庭の生涯にわたる使用の許可を与えました。その忠実な使用人はウィリアム・ジレットより5年長く生きました。尾崎はハドライム墓地に埋葬されています。



これはオサキ・ユキタカ(尾崎行隆)が亡くなったことを知らせる新聞。
見出しからは,ベッドで亡くなっていたのを発見されたことがわかります。

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そして墓石。

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「尾崎行隆」という名前を見て何かに気づいた人もいることでしょう。

1912年,ジレットは当時の東京市長の尾崎行雄がワシントンに桜の木を3000本贈ったという新聞記事を読み,「尾崎」という名字が同じことに気づきました。
「尾崎行隆」「尾崎行雄」!?

そのことを行隆に尋ねると,そう実は行隆は行雄の弟だったのです

*尾崎行雄は「おざき」ですが,弟がなぜ「オサキ」と表記されるのかはわかりません。

こちらは東京市長時代の兄・尾崎行雄

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東京市が贈った桜の木は最初,害虫や病気が見つかり焼却されました。

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ジレットが見たという新聞記事は,その後に贈った木のことでしょう。

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現在はワシントンのポトマック川沿いは桜の名所になっています。

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ちなみに,兄・行雄の国会議員当選25回は史上最多だとか。

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最後に,どうして行隆はアメリカに渡ったのか?

実は兄・行雄は東京府会議員時代,反欧化主義の急先鋒としてクーデターの疑いをかけられ,東京から退去処分を受けました。

その翌年の1888年,兄・行雄,弟・行隆の尾崎兄弟はアメリカに渡りました

そして兄・行雄(1858-1954)は日本に戻り,1890年に国会議員初当選。
弟・行隆(1865-1942)はジレットと出会い,衣装係として劇場に同伴したり,付き人・友人としてジレットの死まで40年間の親交を続けた
のでした。


いつも思うのは,人に歴史あり。

この記事へのコメント

2021年09月27日 07:53
おはようございます。

 へ~、知りませんでした。
 尾崎行雄(咢堂)は、近代史を調べていると何度も名前が出てくるほど有名な人なのですが、その弟がジレットと、、、奇遇というか、不思議なめぐりあわせですね。

 新聞の見出しでは行隆の事を『secretary(秘書)』と、書いていますので、ジレットに重用されていたのが分かりますね。

 行隆が「Y. Osaki」と呼ばれていたのは、「オザキ」が米語発音的に発音しにくい事もあるかもしれませんが、尾崎兄弟が三重に住んでいたことが有るからかもしれませんよ。彼の地では「尾崎」は「おさき」と濁らずに発音することが多いですから。
2021年09月28日 06:04
あきあかねさん
おはようございまいます。私も「秘書」という表現が気になりましたが,最初は付き人だったのでしょうが,付き合い方が変わっていったのでしょうね。
表記と発音について,三重県の方言についてありがとうございます。
1つの可能性として,英語では rose とか compose とか,s も「Z」の発音をすることがあります。ということは「Osaki」と書いてオザキと発音していた可能性もあるのかな。

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