京都には銅閣寺もある!?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わってしまいました。
12月ですから当たり前ですが,最終回でわかったこのタイトルの持つもう1つの意味に驚き。
主人公の北条義時は「京都」対「鎌倉」という承久の乱で官軍を破り,武家政権の礎を作った人物。
後の室町幕府では京都に(通称ですが)金閣や銀閣が建てられました。

あるとき,ふと思いました。
「金閣寺」「銀閣寺」があるなら「銅閣寺」もあるのでは?
いやいや,金・銀・銅は近代オリンピックのメダルの色。
そんな3色の概念が室町時代にあるはずがない。
と思いつつ,「銅閣寺」で検索すると,こんな建物がたくさんヒット!
まさか,これが「銅閣寺」!?

どういうこと? これは何?
この場所は,京都の龍池山大雲院。
1587年に織田信長・信忠親子の菩提を弔うために勅命により建てられたお寺。
創建当初の大雲院は現在の烏丸二条の位置にありましたが,豊臣秀吉が寺町四条に移転。
そして1973(昭和48)年に現在の祇園・東山界隈の位置に移転しました。

大雲院が昭和になって移転してきたこの場所はもともと大倉喜八郎氏の別邸でした。
大倉喜八郎氏は大成建設,鹿鳴館,帝国劇場,帝国ホテルの創始者で一代で巨万の富を築いた人物。

「金閣も銀閣もあるんだから,銅閣も作る!」
と,大倉氏は京都の名所にすることを考えて,別邸・真葛荘(まくずそう)の一部に「銅閣」を建てたのです。
設計者は築地本願寺を設計した昭和初期の代表的な建築家の伊東忠太氏。

伊東氏は祇園祭の山鉾をモチーフにし,その形から「祇園閣」と命名されました。
屋根は大倉氏の要望で銅板葺きにされており,まさに「銅閣」が1928(昭和3)年に建てられました。
その後,1973年にこの場所へ大雲院が移転してきたので,「祇園閣」は大雲院の所有となりました。
そこで,大雲院=銅閣寺ということになったのです。

なお,入口の「祇園閣」の文字は公家で総理大臣でもあった西園寺公望の筆だそうです。

祇園閣(銅閣)の高さは36メートル。360度市内を見渡せるそうです。

大雲院の境内には織田信長親子の墓の他,江戸時代の大泥棒・石川五右衛門の墓もあるそうです。

この祇園閣(銅閣)は通常非公開のようです。
でも,ときどき「特別公開」があるようです。

12月ですから当たり前ですが,最終回でわかったこのタイトルの持つもう1つの意味に驚き。
主人公の北条義時は「京都」対「鎌倉」という承久の乱で官軍を破り,武家政権の礎を作った人物。
後の室町幕府では京都に(通称ですが)金閣や銀閣が建てられました。

あるとき,ふと思いました。
「金閣寺」「銀閣寺」があるなら「銅閣寺」もあるのでは?
いやいや,金・銀・銅は近代オリンピックのメダルの色。
そんな3色の概念が室町時代にあるはずがない。
と思いつつ,「銅閣寺」で検索すると,こんな建物がたくさんヒット!
まさか,これが「銅閣寺」!?

どういうこと? これは何?
この場所は,京都の龍池山大雲院。
1587年に織田信長・信忠親子の菩提を弔うために勅命により建てられたお寺。
創建当初の大雲院は現在の烏丸二条の位置にありましたが,豊臣秀吉が寺町四条に移転。
そして1973(昭和48)年に現在の祇園・東山界隈の位置に移転しました。

大雲院が昭和になって移転してきたこの場所はもともと大倉喜八郎氏の別邸でした。
大倉喜八郎氏は大成建設,鹿鳴館,帝国劇場,帝国ホテルの創始者で一代で巨万の富を築いた人物。

「金閣も銀閣もあるんだから,銅閣も作る!」
と,大倉氏は京都の名所にすることを考えて,別邸・真葛荘(まくずそう)の一部に「銅閣」を建てたのです。
設計者は築地本願寺を設計した昭和初期の代表的な建築家の伊東忠太氏。

伊東氏は祇園祭の山鉾をモチーフにし,その形から「祇園閣」と命名されました。
屋根は大倉氏の要望で銅板葺きにされており,まさに「銅閣」が1928(昭和3)年に建てられました。
その後,1973年にこの場所へ大雲院が移転してきたので,「祇園閣」は大雲院の所有となりました。
そこで,大雲院=銅閣寺ということになったのです。

なお,入口の「祇園閣」の文字は公家で総理大臣でもあった西園寺公望の筆だそうです。

祇園閣(銅閣)の高さは36メートル。360度市内を見渡せるそうです。

大雲院の境内には織田信長親子の墓の他,江戸時代の大泥棒・石川五右衛門の墓もあるそうです。

この祇園閣(銅閣)は通常非公開のようです。
でも,ときどき「特別公開」があるようです。

この記事へのコメント
いや~、これは知りませんでした。仕事場が近かったので、大雲院の近くは時々通っていましたし、その時に祇園閣の姿も遠目に眺めたりしていたのですが…
私の周りの京都人からも聞いたことが無かったです。
昨日ちょっと面白い動画を見つけまして、先生にもご覧いただければと思いましたので、お忙しい中を顧みず、厚かましくもコメント差し上げました。
’60年代に流行ったジャズの名曲に「You'd Be So Nice To Come Home To」と言う曲があります。ヘレン・メリルという歌手が歌って日本でもよく聞かれる曲になったのですが、これに「帰ってくれたら嬉しいわ」という邦題を付けたのは大橋巨泉だったはずです。後にこの邦題は誤訳だ、言われます。
私がこの曲を知ったのは中学生の頃だったのですが、その時分はこの題名の意味がよく理解できませんでした。最後の「to」は何なのだろうとか、誰が家に帰るのだろうとか、色々考えました。この歌の歌詞の意味を知ったのは大学生になってからでしたが、それでもこの題名の構文がよく理解できませんでした。
その解説をしてくれる動画を昨日見つけたのです。動画へのリンクを下に貼ります。
→https://www.youtube.com/watch?v=nrgCUz-E1IM&t=321s
20分近くある長い動画ですので、お手すきになった時にでもご覧になってみてください。
先生のブログ記事のネタにでもしていただければ、と思いご紹介しました。
こんばんは。この祇園閣の近くをよく通られていたんですね。この記事は11月に書きかけていて,そのきっかけはよく思い出せません。ラジオだったかネットだったか。
まあ,構図としては別邸内に「銅閣」を作ったら,のちにその土地にお寺が引っ越ししてきて,だれかがそのお寺(大雲院)を「銅閣寺」と呼んだということだと思います。
動画の紹介ありがとうございました。書きたいこと,書きかけていることはいくつかあって,それを書いていくだけで精一杯です。
それに引っ越し期限まで1カ月。いつ引っ越すか,年内か,年明けか,悩むところです。