浮世絵に見る年の暮れ(3) 青物魚軍勢大合戦之図
煤払い,年賀の準備と年の暮れを描いた浮世絵を2つ見てきました。
今回は年の瀬というよりは,コロナ禍のこのご時世に少し関係あるような浮世絵です。
歌川広景の「青物魚軍勢大合戦之図」。ちょっとぶっ飛んでいます。
合戦の絵にしては戦っているのが魚介類だったり野菜だったり。

左側には北斎の「神奈川沖浪裏」を思い浮かべさせるような「波」を背景にタコが大きく描かれています。
名前は「蛸入道八足」とあります(笑)。

鎧をまとい長い槍を持ち,口からは小さなタコたちが飛び出しています!
他にも,刀を振りかざすタイ。

マグロがなぎなたを持っている!

一方,右側の軍勢を見てみましょう。
カボチャのような武将の名前は「藤顔次郎直高」。

「藤顔」? とうがん? 「冬瓜」ですね(笑)!
ユリネの名前は「百合根十郎」。弓をひいています。

ブドウもいる! 名前は「甲斐武道之介」(笑)。

後ろに大きく控えているのはミカン,「蜜柑太夫」。

つまり,これは波を含めた「魚・水軍」対「野菜・果物軍」の合戦。

何のこと?
実はこの絵が描かれたのは安政6年(1859年),この頃,江戸ではコレラが大流行。
次の絵は歌川国芳の「流行病妙薬危験」。

当時は感染症コレラにかかると薬を飲んでもほとんど効果はなかったそうです。
2,3日で亡くなる人が多かったそうです。

江戸だけでも3~4万人が亡くなったとか。
家の中の人も外の人も恐れおののいています。
当時,魚や水はコレラをもたらす悪いものとされ,魚の値段は暴落。
一方,野菜や果物は食べても大丈夫とされました。
つまり,あの合戦図は,野菜・果物軍が魚・水軍を打ち負かそうとしている図なんです。

さらに,江戸っ子はこの絵から幕府の一大事を読み取っていました。
ミカンと言えば紀州。蜜柑太夫は紀州藩主の徳川慶福(よしとみ)。

一方,タコの名産地は水戸。(しかも「水」が入っています)。

蛸入道八足は元水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)。

斉昭は息子の一橋慶喜(よしのぶ)を次の将軍に推していました。
肝心の慶喜はどこかって? こんなところに小さく描かれています。

この馬に乗った武将「しゃち太子」が一橋慶喜。

つまり,これは次の将軍をめぐるお世継ぎ問題まで風刺している絵なんです。

結論を言えば・・・
この戦,アワビは真っ二つに切られ,サザエはお手上げ,このマグロは敗走しています。

紀州藩の蜜柑太夫こと徳川慶福の勝利!

慶福は14代将軍,徳川家茂(いえもち)となりました。
(この絵が描かれた時点での将軍)

そして,もちろん「しゃち太子」は・・・

後に最後の15代将軍,徳川慶喜となります。

もちろん,この絵が描かれた時点では誰も知らないことですが。
コレラを巡る合戦の裏にお世継ぎ問題とは,江戸人の発想のすごさに感心するばかりです。
江戸の浮世絵師たちが現代にいたら,コロナの世の中をどんなふうに描くのでしょう?
今回は年の瀬というよりは,コロナ禍のこのご時世に少し関係あるような浮世絵です。
歌川広景の「青物魚軍勢大合戦之図」。ちょっとぶっ飛んでいます。
合戦の絵にしては戦っているのが魚介類だったり野菜だったり。

左側には北斎の「神奈川沖浪裏」を思い浮かべさせるような「波」を背景にタコが大きく描かれています。
名前は「蛸入道八足」とあります(笑)。

鎧をまとい長い槍を持ち,口からは小さなタコたちが飛び出しています!
他にも,刀を振りかざすタイ。

マグロがなぎなたを持っている!

一方,右側の軍勢を見てみましょう。
カボチャのような武将の名前は「藤顔次郎直高」。

「藤顔」? とうがん? 「冬瓜」ですね(笑)!
ユリネの名前は「百合根十郎」。弓をひいています。

ブドウもいる! 名前は「甲斐武道之介」(笑)。

後ろに大きく控えているのはミカン,「蜜柑太夫」。

つまり,これは波を含めた「魚・水軍」対「野菜・果物軍」の合戦。

何のこと?
実はこの絵が描かれたのは安政6年(1859年),この頃,江戸ではコレラが大流行。
次の絵は歌川国芳の「流行病妙薬危験」。

当時は感染症コレラにかかると薬を飲んでもほとんど効果はなかったそうです。
2,3日で亡くなる人が多かったそうです。

江戸だけでも3~4万人が亡くなったとか。
家の中の人も外の人も恐れおののいています。
当時,魚や水はコレラをもたらす悪いものとされ,魚の値段は暴落。
一方,野菜や果物は食べても大丈夫とされました。
つまり,あの合戦図は,野菜・果物軍が魚・水軍を打ち負かそうとしている図なんです。

さらに,江戸っ子はこの絵から幕府の一大事を読み取っていました。
ミカンと言えば紀州。蜜柑太夫は紀州藩主の徳川慶福(よしとみ)。

一方,タコの名産地は水戸。(しかも「水」が入っています)。

蛸入道八足は元水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)。

斉昭は息子の一橋慶喜(よしのぶ)を次の将軍に推していました。
肝心の慶喜はどこかって? こんなところに小さく描かれています。

この馬に乗った武将「しゃち太子」が一橋慶喜。

つまり,これは次の将軍をめぐるお世継ぎ問題まで風刺している絵なんです。

結論を言えば・・・
この戦,アワビは真っ二つに切られ,サザエはお手上げ,このマグロは敗走しています。

紀州藩の蜜柑太夫こと徳川慶福の勝利!

慶福は14代将軍,徳川家茂(いえもち)となりました。
(この絵が描かれた時点での将軍)

そして,もちろん「しゃち太子」は・・・

後に最後の15代将軍,徳川慶喜となります。

もちろん,この絵が描かれた時点では誰も知らないことですが。
コレラを巡る合戦の裏にお世継ぎ問題とは,江戸人の発想のすごさに感心するばかりです。
江戸の浮世絵師たちが現代にいたら,コロナの世の中をどんなふうに描くのでしょう?
この記事へのコメント
安政のコレラ騒動ですね。私のブログでもちょっとだけ書いたことがありました。(叢塚の事を書いた時です)この浮世絵も、下調べの時に見たのですが、裏の将軍の後継問題にまでは気付けませんでした。なるほどです。
ところで、ブログのお引越しはどうなさいます? 老婆心ながら、リダイレクト機能が有効な期間に、早めに引っ越された方が良いように思うのですが…
こんばんは。コレラ騒動に見せかけて,実はお世継ぎ問題を風刺しているなんて粋だなあ。浮世絵は今のYouTube的な最先端の表現方法だったのかも。
リダイレクト機能,と聞いて何のこと? と焦ってしまいました。このいわゆる冬休み期間に引っ越そうかと思っていました。まずはよく説明を読むことですね。
8月に詳しい説明をコメント欄でいただいていました。大いに参考にさせていただきます。