浮世絵に見るお正月(2) 初湯 初売り
前回,浮世絵に見る「初日の出」「初夢」について書きましたが,江戸時代に限らず日本人は「初物」が好きなようです。
これは元日の水汲み(若水迎え)の様子を描いた鈴木春信の絵です。
桶に注連縄をつけ,初物には厄除けや長寿のご利益があると思われました。

上には和歌が書かれています。
春を得て 今日たてまつる 若水に 千年の影や まづ浮かぶらん
新春の若水に長寿をお祈りしました。
さて,こちらは歌川国貞の「睦月わか湯乃図」。

左側には湯桶が積まれ,銭湯の様子,「初湯」ですね。
中央の番頭さんの前には高く何かが積まれています。

これは客が銭湯側に置いていくおひねりで,もうこんなに客が来たんですね。
紙の中身は寛永銭3枚だそうです。

絵の右端にあるのは,銭湯側の客へのプレゼント。
柄杓,扇子に扇箱などが見えます。好きなものを1つ持ち帰ります。

客がいっぱい来たので残り少なくなっています。GIVE AND TAKE。
最後に橋本貞秀の「大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売」。

日本橋を「初荷」を載せた荷車が行ったり来たり。

日本橋の下には大きな魚がたくさん並べられています。

魚河岸の「初売」のようです。
手前の赤丸は魚を担いだ棒手振り(ぼてふり),奥の赤丸は鯛を商っているのでしょうか。

黄色い丸の中には「獅子舞い」が見えます。
そして万歳三唱の人たち。交渉成立かな。
今日は4日。仕事始めの人も多いのでは。私も初仕事です。
これは元日の水汲み(若水迎え)の様子を描いた鈴木春信の絵です。
桶に注連縄をつけ,初物には厄除けや長寿のご利益があると思われました。

上には和歌が書かれています。
春を得て 今日たてまつる 若水に 千年の影や まづ浮かぶらん
新春の若水に長寿をお祈りしました。
さて,こちらは歌川国貞の「睦月わか湯乃図」。

左側には湯桶が積まれ,銭湯の様子,「初湯」ですね。
中央の番頭さんの前には高く何かが積まれています。

これは客が銭湯側に置いていくおひねりで,もうこんなに客が来たんですね。
紙の中身は寛永銭3枚だそうです。

絵の右端にあるのは,銭湯側の客へのプレゼント。
柄杓,扇子に扇箱などが見えます。好きなものを1つ持ち帰ります。

客がいっぱい来たので残り少なくなっています。GIVE AND TAKE。
最後に橋本貞秀の「大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売」。

日本橋を「初荷」を載せた荷車が行ったり来たり。

日本橋の下には大きな魚がたくさん並べられています。

魚河岸の「初売」のようです。
手前の赤丸は魚を担いだ棒手振り(ぼてふり),奥の赤丸は鯛を商っているのでしょうか。

黄色い丸の中には「獅子舞い」が見えます。
そして万歳三唱の人たち。交渉成立かな。
今日は4日。仕事始めの人も多いのでは。私も初仕事です。
この記事へのコメント
今年は少し早い仕事始めだったのでしょうか。正月から年度末、年度初めまで、さらにお忙しさが増すのでしょうね。お疲れ様です。
さて、記事中の江戸の湯屋の仕事始めですが、寛永銭3枚が”おひねり”だ、との事ですが、ちょっと気になりました。
たぶんこの「寛永通宝」は、通称「波銭」という、「四文銭(しもんせん)」の事だと想像するのですが、3枚だと12文になりますね。私が聞き知っていたのは、湯屋の常の代金は8文で、「紋日(もんび)」と呼ばれる五節句や特別な日にはその倍の16文をおひねりにした、という事でした。時代によって異なっていたのか、人によって異なっていたのか、ちょっと気になりました。
先のコメントを書いた後、気になったので手持ちの資料を漁ってみました。結果、私の記憶が不完全でした。
私の記憶では湯銭は幕府の統制で安定していた、と思っていたのですが、実際は江戸の町の湯屋の湯銭は時代によってさまざまでした。
江戸時代初期は15~16文、中期は大人6文、子供4文、江戸後期の1700年代後半は大人6文、子供4文~大人8文、子供5文、幕末には大人8文、子供4文になっていました。
私が記憶していた「大人8文」というのは結構短い期間だったのですね。浅学を反省しています。
ちなみに、湯屋が勝手に湯銭を9文から10文に値上げしたことを咎められ、天保十二年十二月、湯屋株が解体させられています。この時は幕府からの命令で大人、子供共に6文にさせられています。
おはようございます。
今回のシリーズは年末に放送されたNHK-BSの「浮世絵ミステリー」が元ネタになっています。寛永銭の価値はどれくらいかなあと思いつつ書いたのですが,詳しく解説していただきありがとうございます。なかなかそこまで調べて書けないのが実情で私の限界かなあ。
私が感心するのは高く積まれたおひねりと残りわずかのプレゼントの量が理にかなっており,だいたいの時刻まで想像できるところです。
また初売りの絵も,大晦日の支払いを乗り切った江戸庶民の喜びにぎわう様子が目に見えるところです。浮世絵という文化を持っていた江戸の人々の暮らしは世界でも最先端じゃなかったのかと思ってしまいます。