村上春樹とフォークナー(2) 「納屋を焼く」

前回は村上春樹氏の小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中に出てきたフォークナーの小説「響きと怒り」について書きましたが,今回は村上氏の別の小説から。

今日は1984年刊の短編集「蛍・納屋を焼く・その他の短編」から。

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この本の装幀は安西水丸氏。
表紙の依頼が来たとき,タイトルをメモした文字をそのまま表紙に使ったとどこかで読んだ記憶があります。

村上氏の初期の小説によく「渡辺昇」という人物が登場しますが,これは安西水丸氏の本名

ここからが本題。

取り上げるのは,この短編集の中の一作「納屋を焼く」で「新潮」昭和58年(1983年)1月号の初掲載。

主人公の「僕」は知人を迎えに空港に行きます。

飛行機が着くと――飛行機は悪天候のために実に四時間も遅れて,そのあいだ僕はコーヒー・ルームでフォークナーの短編集を読んでいた――二人が腕を組んでゲートから出てきた。


ただ,小説内の後にも先にも「フォークナー」という作家名は一度も出てきません。

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なぜ,「僕」はフォークナーの短編集を読んでいたのか? 作家としての村上春樹は「フォークナー」の名前を出す必要があったのか?

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この本を読んだとき,いや,この表紙を見たとき,私はフォークナーのある短編を思い出しました。

それは同名の短編 Barn Burning。まさに「納屋を焼く」。

新潮文庫の「フォークナー短編集」では「納屋は燃える」というなっています。(写真右側)

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物語としては,納屋を焼くという趣味(?)を持つ男が本当に納屋を焼いているのか,「僕」は気になって周辺の納屋を見回っています。でも,焼かれた納屋は今も見つからない。

ただ,これはフォークナーの Barn Burning とは内容的に全く関係がありません。

おもしろいのは,この短編のタイトルについて村上氏は「村上春樹全作品 1979~1989」の第3巻で自作についてこう書いています。

これは「納屋を焼く」ということばから思いついた小説である。もちろんフォークナーの短篇の題だが,当時の僕はあまり熱心なフォークナーのファンではなくて,この『納屋を焼く』という短篇を読んだこともなかったし,それがフォークナーの短篇の題であったこと自体知らなかった。

そんあことある!?

そして,この「村上春樹全作品 1979~1989」の第3巻では「フォークナーの短編集」を「週刊誌を三冊」に改変しているのです。

おそらく,これは作家としての照れ隠しと言うか,彼特有の読者を煙に巻いている言葉なのではないか

まあ,実際,先ほども書きましたが新潮文庫では「納屋は燃える」と訳されており,確かに村上氏は『納屋を焼く』という短編は読んだことがない

実際は1981年の「フォークナー全集」では「納屋を焼く」に改題されているのですが,村上氏の短編は「三年前」の話とあり,おそらく小説の時代背景1980年の夏には「納屋を焼く」と訳されたフォークナーの短編は存在していない・・・。

まあ,今回調べてみて多くの人々がこのことを論争していることを知りました。



この記事へのコメント

2024年03月23日 07:01
なるほど、、、
 偶然なのでしょうか? ちょっと不思議です。
2024年03月24日 06:41
あきあかねさん
おはようございます。
実際のところは,村上さんにとっては,まあその辺はどうでもいいでしょう,内容で見てくださいと煙に巻いているのだと思います。
小説は発表されてしまえば,作品がすべてで作家の名前はただの記号。とはわかっているんですが。