「最も・・・」は単数か複数でもいいのか

先週,he や she の日本語訳「彼は」「彼女は」について書きましたが,どうもそれは自然な日本語ではないような違和感を抱いてきました。まあ,その原因は西洋語を訳すうえで必要となった言葉であるところにあります。

でも,英語を学び,教えてきて,いちばん違和感を持つのは最上級の訳し方です。

例えばこんな英文があります。

She is one of the most famous singer in Japan.
(彼女は日本で最も人気のある歌手の1人です。)


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最上級を学習した後に,よくこんな英文に出会います。
せっかく最上級が「いちばん・・・」「最も・・・」と学習したのに「最も人気のある歌手」が複数いるような表現

確かに「富士山は日本でいちばん高い山」と違って日本でいちばん人気がある歌手は限定しにくい
中学生だった私は,変な日本語だなあと思ったのに,同じことを教えています。

これについてNHKラジオの「国語辞典サーフィン」では明鏡国語辞典の「使い方」という解説を紹介してくれました。

明鏡国語辞典 第三版 - 北原保雄
明鏡国語辞典 第三版 - 北原保雄

「もっとも」(最も)の<使い方>として・・・

1 「最も偉大な作家のひとり」など「最も」を1つに限らない言い方は英語などの最上級表現(He is one of the greatest novelists.) の翻訳から来て一般化したもの。また,「最も有効な手段の中のひとつ」の「の中」は不要。
2 話し言葉としては明治・大正期には「一等」今では「いちばん」がよく使われる。「最も」はやや文章語的


「最も」が単数なのか複数でもいいのかについて,1つに限らない言い方は翻訳から来て一般化したものだそうです。
ここにも翻訳の必要性から日本語が変化した例を見ることができます。

私が持っている岩波国語辞典でも「何よりも一番」を原義とし,「『最もすぐれたものの一つ』のような言い方は欧文直訳体」とあります。

岩波 国語辞典 第7版 普通版 - 西尾 実, 西尾 実, 岩淵 悦太郎, 水谷 静夫
岩波 国語辞典 第7版 普通版 - 西尾 実, 西尾 実, 岩淵 悦太郎, 水谷 静夫


明鏡国語辞典の「使い方」にも書いてあるように「最も」は文章語的です。
「私,ケーキの中ではイチゴのショートが最も好き」とはあまり言いません。「いちばん好き」が一般的ですね。

明治・大正期には「一等」がよく使われたとあるので青空文庫で見てみます。

夏目漱石「彼岸過迄」(1912年朝日新聞掲載)

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これだけ云った敬太郎は、定めて世故(せこ)に長けた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目な態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。
「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。


これは「報告」の章の「六」で出てくる文章。
漱石はここで畳みかけるように「最も」を使いました。

また「一等」と「最も」が近いところで出てくる小説があります。
私のお気に入りの掌編であります。

梶井基次郎「檸檬」(1925年・大正14年初出)

檸檬 (新潮文庫) - 基次郎, 梶井
檸檬 (新潮文庫) - 基次郎, 梶井

・・・。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下(さが)り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。



英語の日本語訳で必要になる「最も・・・の1つ」には疑問に思う生徒も確かにいます。

「いちばん」と1つに限定しにくいものの訳し方として「最も・・・な1つ」を使うと教えるしかないようです。



この記事へのコメント

2024年05月28日 09:20
おはようございます。

 今まで気にしたことが無かったのですが、私も無意識で”最上級の複数形”を使っていました。そうか、翻訳調だったのか…
 う~ん、でも、「最上級」のものは、人によって価値観がまちまちなので、、、って、つい思ってしまうんですよね。
 でも、それって、主張が曖昧になるって事でもありますよね。う~ん、やっぱり、もう少し努力・工夫をしなければならないかな。
2024年05月29日 05:56
あきあかねさん
おはようございます。
この複数ある最上級の表現は中学時代に疑問を持ったまま。でも「いちばん」ではなく「最も」であいまいにして切り抜けているような気がします。
「彼はいちばん有名な作家のひとり」よりは「彼は最も有名な作家のひとり」なら許せるかなあ。あらためて翻訳の必要性から来た表現であることを知りました。