「ある」と「いる」(2) 「いる」はどこから来たのか?
前回の続き。
日本語は物には「ある」,人や動物には「いる」を使いますが,人にも「ある」を使うことがあります。
太宰治の文章を見てみましょう。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫) - 治, 太宰
「ヴィヨンの妻」
「感心しておりました。こんな立派な奥さんがあるのに,どうして大谷さんは,あんなに,ねえ」
「立派な奥さんがいるのに」と言ってもよさそうですが,「妻のある身」「夫のある身」「家族のある身」などは「ある」のほうが自然かなあ。
今回も森田良行教授の「日本語をみがく小辞典」を見てみましょう。

日本語をみがく小辞典 (角川ソフィア文庫) - 森田 良行
森田先生は多くの留学生に日本語を教えてきたので,「ある」と「いる」の違いなどはたくさん質問されたことでしょう。

「ある」「いる」のように使い分けるような言語は,世界の外国語を見渡してもそう多くないそうです。
前回,もともと古代の日本語は,人や物の存在には区別なしに「あり」(「ある」の古い形)を用いた,とこの本から引用しました。
では,人や動物の存在を表す「いる」はどうやって生まれたのか?
「いる」は「ゐる」(居る)で,存在ではなく,昔は座っているという動作を表したそうです。
「竹取物語」
その竹の中に,もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて,寄りて見るに,筒の中光りたり。それを見れば,三寸ばかりなる人,いとうつくしうてゐたり。

三寸ばかりなる人が,大変かわいらしく座っていたんですね。
「ゐる」の反対は「立つ」で,対として使われることがあります。
「立ち居振る舞い」
「居ても立ってもいられない」
座っている人は,その場に腰をすえて動きません。
そこから「ゐる」(「いる」)は後に人の存在を表すようになり,「ある」と競合するようになったそうです。
「いる」は定位置を占めて,そこに存在するというニュアンスがつきまといます。
「家族がある」は家族持ちだという概念的な意味しか持ちませんが,「家族がいる」はどうしても場所の観念が伴い,具体的な状況を想定していまします。
まとめると,昔は「あり」(「ある」)で物も人も表しましたが,「ゐる」(「いる」)が座っているという原義から「ある」と競合する中で,生物が存在するという意味になっていったのでしょう。
余談ですが,「をり」(「おる」)と言う言葉もあります。
「をり」は座り続けているという意味で,つまり低姿勢をとるということ。
低姿勢な態度は謙遜につながります。
現在でも「ここにいます」と言うよりは「ここにおります」のほうが謙譲の表現になっていますね。
日本語は物には「ある」,人や動物には「いる」を使いますが,人にも「ある」を使うことがあります。
太宰治の文章を見てみましょう。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫) - 治, 太宰
「ヴィヨンの妻」
「感心しておりました。こんな立派な奥さんがあるのに,どうして大谷さんは,あんなに,ねえ」
「立派な奥さんがいるのに」と言ってもよさそうですが,「妻のある身」「夫のある身」「家族のある身」などは「ある」のほうが自然かなあ。
今回も森田良行教授の「日本語をみがく小辞典」を見てみましょう。

日本語をみがく小辞典 (角川ソフィア文庫) - 森田 良行
森田先生は多くの留学生に日本語を教えてきたので,「ある」と「いる」の違いなどはたくさん質問されたことでしょう。
「ある」「いる」のように使い分けるような言語は,世界の外国語を見渡してもそう多くないそうです。
前回,もともと古代の日本語は,人や物の存在には区別なしに「あり」(「ある」の古い形)を用いた,とこの本から引用しました。
では,人や動物の存在を表す「いる」はどうやって生まれたのか?
「いる」は「ゐる」(居る)で,存在ではなく,昔は座っているという動作を表したそうです。
「竹取物語」
その竹の中に,もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて,寄りて見るに,筒の中光りたり。それを見れば,三寸ばかりなる人,いとうつくしうてゐたり。
三寸ばかりなる人が,大変かわいらしく座っていたんですね。
「ゐる」の反対は「立つ」で,対として使われることがあります。
「立ち居振る舞い」
「居ても立ってもいられない」
座っている人は,その場に腰をすえて動きません。
そこから「ゐる」(「いる」)は後に人の存在を表すようになり,「ある」と競合するようになったそうです。
「いる」は定位置を占めて,そこに存在するというニュアンスがつきまといます。
「家族がある」は家族持ちだという概念的な意味しか持ちませんが,「家族がいる」はどうしても場所の観念が伴い,具体的な状況を想定していまします。
まとめると,昔は「あり」(「ある」)で物も人も表しましたが,「ゐる」(「いる」)が座っているという原義から「ある」と競合する中で,生物が存在するという意味になっていったのでしょう。
余談ですが,「をり」(「おる」)と言う言葉もあります。
「をり」は座り続けているという意味で,つまり低姿勢をとるということ。
低姿勢な態度は謙遜につながります。
現在でも「ここにいます」と言うよりは「ここにおります」のほうが謙譲の表現になっていますね。
この記事へのコメント
「あり、おり、はべり、いまそかり、これラ変」って、習いましたね(笑)、懐かしいです。
おはようございます。「社長はおりますか?」は一見使われそうな気もしますが,この本によると言語道断とまで言い切っています。やはり,このあたりは難しいところです。
この「ある」「いる」,ちょっとだけ続けるかも。