Haiku in English on Sunday (619) 夕焼や生きてある身のさびしさを
日曜日は俳句の紹介と英訳。
こちら東北南部も梅雨入りしましたが,晴れて暑い日が続いています。今夜あたりからは雨が降りそうですが。
そんな中,きれいな夕景を見ることができました。
仙台駅前。

南から眺めた仙台中心部方面。

こちらも南の郊外から。

夕焼は1年中見ることができますが,季語としては「朝焼」「夕焼」は夏の季語。「大夕焼」の「夕焼」は「ゆやけ」と読むこともあります。
夕焼や生きてある身のさびしさを 鈴木花蓑
(ゆうやけやいきてあるみのさびしさを)
坪内稔典著「俳句いまむかし ふたたび」より。

俳句いまむかし ふたたび - 坪内 稔典
鈴木花蓑(はなみの)は愛知県知多郡半田町(現半田市)生まれの俳人(1881-1942)。

本名は喜一郎で,半田裁判所で書記見習いをしていた時に「ホトトギス」に投句。
1909年に名古屋裁判所に移り,1915年に上京し大審院書記となりました。
この年初めて「ホトトギス」で入選。
晩年は「あをさ」「百舌鳥」などの俳誌を創刊しますが,戦時中の紙不足に巻き込まれ廃刊。
60歳を迎えて日本俳句作家協会常任理事となりますが,病に倒れました。
花蓑の句は高浜虚子の提唱した「客観写生」を忠実に実践し,着実に対象を眺め,命を写し取ることこそがその神髄であるとして対象を凝視することで句を作ったそうです。
題材を見つけるとその前に坐りつづけ2時間も3時間も動かなかったと,水原秋桜子は書いているほど。

鈴木花蓑の百句 - 伊藤敬子, 鈴木花蓑
今日の句は昭和16年,亡くなる2年前の一句。
この句について,高浜虚子はこう書いています。

「この頃は御説の通り,夕焼を見た為に特に淋しいとか思ったのではなくて,何を見ても淋しさを感じた晩年だったでせう。夕焼を見ても……。一時華やかで直ぐ褪めるといふ夕焼を見ても,さう感じたんだらう。晩年の花蓑は淋しさうだったね。国へ帰る時,発行所まで来たことがあった。」
「非常に淋しさうであつたですね。エレベーターまで見送ってやったんだがその時の淋しさうな顔がまだ目に残ってゐる。」
虚子がここまで言ってしまうと,もう何も書くことがありませんね。
前回,「いる」「ある」について書きましたが,「生きてある身」なのに「さびしさ」を感じてしまうのは大自然や宇宙の動きの中では人は時々孤独を感じてしまうものです。
美しい大夕焼を見たときはなおさらセンチメンタルになってしまいます。
ただ,虚子の言葉を読むと,花蓑は深い悲しみを背負った人生だったようです。
では,英訳してみます。
夕焼や生きてある身のさびしさを 鈴木花蓑
Evening glow,
I found myself, a living thing
All alone
高浜虚子は花蓑への追悼句を残しています。
天地の間にほろと時雨かな 高浜虚子
(あめつちのあいだにほろとしぐれかな)
こちら東北南部も梅雨入りしましたが,晴れて暑い日が続いています。今夜あたりからは雨が降りそうですが。
そんな中,きれいな夕景を見ることができました。
仙台駅前。

南から眺めた仙台中心部方面。

こちらも南の郊外から。

夕焼は1年中見ることができますが,季語としては「朝焼」「夕焼」は夏の季語。「大夕焼」の「夕焼」は「ゆやけ」と読むこともあります。
夕焼や生きてある身のさびしさを 鈴木花蓑
(ゆうやけやいきてあるみのさびしさを)
坪内稔典著「俳句いまむかし ふたたび」より。

俳句いまむかし ふたたび - 坪内 稔典
鈴木花蓑(はなみの)は愛知県知多郡半田町(現半田市)生まれの俳人(1881-1942)。

本名は喜一郎で,半田裁判所で書記見習いをしていた時に「ホトトギス」に投句。
1909年に名古屋裁判所に移り,1915年に上京し大審院書記となりました。
この年初めて「ホトトギス」で入選。
晩年は「あをさ」「百舌鳥」などの俳誌を創刊しますが,戦時中の紙不足に巻き込まれ廃刊。
60歳を迎えて日本俳句作家協会常任理事となりますが,病に倒れました。
花蓑の句は高浜虚子の提唱した「客観写生」を忠実に実践し,着実に対象を眺め,命を写し取ることこそがその神髄であるとして対象を凝視することで句を作ったそうです。
題材を見つけるとその前に坐りつづけ2時間も3時間も動かなかったと,水原秋桜子は書いているほど。

鈴木花蓑の百句 - 伊藤敬子, 鈴木花蓑
今日の句は昭和16年,亡くなる2年前の一句。
この句について,高浜虚子はこう書いています。

「この頃は御説の通り,夕焼を見た為に特に淋しいとか思ったのではなくて,何を見ても淋しさを感じた晩年だったでせう。夕焼を見ても……。一時華やかで直ぐ褪めるといふ夕焼を見ても,さう感じたんだらう。晩年の花蓑は淋しさうだったね。国へ帰る時,発行所まで来たことがあった。」
「非常に淋しさうであつたですね。エレベーターまで見送ってやったんだがその時の淋しさうな顔がまだ目に残ってゐる。」
虚子がここまで言ってしまうと,もう何も書くことがありませんね。
前回,「いる」「ある」について書きましたが,「生きてある身」なのに「さびしさ」を感じてしまうのは大自然や宇宙の動きの中では人は時々孤独を感じてしまうものです。
美しい大夕焼を見たときはなおさらセンチメンタルになってしまいます。
ただ,虚子の言葉を読むと,花蓑は深い悲しみを背負った人生だったようです。
では,英訳してみます。
夕焼や生きてある身のさびしさを 鈴木花蓑
Evening glow,
I found myself, a living thing
All alone
高浜虚子は花蓑への追悼句を残しています。
天地の間にほろと時雨かな 高浜虚子
(あめつちのあいだにほろとしぐれかな)
この記事へのコメント
東京で独り暮らしを始めた頃、下宿への帰り道の夕暮れ時、夕餉の臭いなどがそこはかとなく漂ってきまして、通りすがりの民家の塀越しにテレビの音などが聞こえてくるんですよね。そういう時、途端にノマディックな気分になってしまう、という事が良くありました。
ま、そうは言いましても、人間生まれ出でる時も独り、死ぬる時も独り、なんですけどね。
おはようございます。
夕暮れ時は人をセンチにしてしまいます。花蓑はホトトギスの中で一時代を築いたにも関わらず,晩年は孤独だったようです。そのあたりは今回調べきれませんでした。梅雨っぽくなってきましたね。