「ある」と「いる」(4) 「あった!」と「いた!」の不思議

先日,電話に出た隣席の同僚がこう言いました。
「○○ですか(見回して)・・・今,職員室を留守にしていました」

違う言い方だったかもしれませんが,こんな表現でした。
私は違和感を感じました。私だったら「留守にしています」と言うはず。

思わず私は尋ねました。
「ご出身は山形ですか?」

「そうです。どうしてわかったんですか!?」

私は山形の人は電話で「~でした」と言う傾向があることを話しました。
同僚はそのことを知りませんでした。

このことはテレビ番組「ケンミンSHOW」でもよく取り上げられます。

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でも,この言い方は山形の人だけでなく,日常でも今のことなのに過去の形をとることがあります

例えば,どこかにしまった通帳を探していて,見つけたときに目の前に「ある」のに「あった!」といいます。
別に昔はあったのに,今はないという意味ではありません。

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ネス湖のネッシーを探しに行って,発見したとき「いる!」ではなく「いた!」と言うでしょう。

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このことは以前にも書いたことがありますが,東京女子大の篠崎晃一教授によると,強調や確認ではないかと言うことです。

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過去の記事はこちら。

→ 山形では電話で名乗るとき「○○でした」



この記事へのコメント

2024年07月03日 06:31
おはようございます。

 山形の過去形の問題、最近は聞いていないのですが、今でもそうなんでしょうかね。

 前回も申したのですが、英語では時間直線と言うものが有って、過去、現在、未来、(プラス、各時制の完了形)の時制があるのですが、日本語にその概念を当てはめると、どうしても無理が出てきます。で、私は近年、日本語には時間直線の概念が無い、と思うようになっています。つまり、時間概念に対しての立脚点が異なるのですね。
 私は、日本語の動詞には「終わった事」、「まだ終わっていない事」の二つの時制しかないと思っています。しかもそれが現在話されている話者と対者の”場”から見ての「終わった事」、「まだ終わっていない事」なのであって、絶対時間とは無関係に判断されます。したがって、ネッシーはその存在を、すでに確認し終わっていますので「いた」となり、無くした通帳は、その存在を(何時見つけたかの関係なく)確認し終えたので「あった」となる訳です。
 ここで注意しなければならないのが、その判断は話者が主体となるという事です。英語のような「絶対時間」ではなく、「相対時間」なのですね。

 ちなみに、この「時間は直線ではない」と言う考え方、最近の理論物理学の「時空論」でも言われるようになっていまして、「多次元宇宙論」とかの話にも出て来ます。でも、私には難しすぎまして、まだよく理解できていないのでここでお話しする事が出来ません(苦笑)
のぶちゃん
2024年07月03日 16:39
あゝ、懐かしい❗️
2024年07月05日 05:38
あきあかねさん
おはようございます。返事が遅く練ってすみません。
ネッシーと財布の発見に関する表現の推察,とてもおもしろかったです。山形弁の「~でした」も含めて「強調や確認」よりもっといい言葉があるような気もするのですが,あえて言うなら「自己認識」ですかねえ。
2024年07月05日 05:41
のぶちゃんさん
おはようございます。お元気ですか。
こんなふうにときどき来ていただけると嬉しいです。梅雨前線はあまり上まで上がってこないようで,こちらはけっこう暑い7月になっています。