20世紀末の私的なパリ滞在記(4) モンサンミシェル,さよならパリ

体調が回復するまで,写真中心の「非オリンピック的」パリ滞在記を書きます。
なお,記事の中の出来事や値段などは2000年の暮れの時点のことです。

前回,ヴェルサイユ宮殿について書きましたが,ガイドのムッシュ・イトウが教えてくれたこと。
家づくりをするなら,玄関は質素に,部屋を進むたびに相手を驚かせる仕掛けを用意しておく。
まあ,何だってそうだ。料理だって恋愛だって。

パリは中央から外に向かってまるでエスカルゴの渦巻きのように1区から20区までに分かれています。
大きく分けるとセーヌ川の流れに向かって「左岸」と「右岸」に分かれます。
(わかりにくいので図にしておきます。)

4seine.jpg

パリ最後の日には最大の楽しみを用意しました。
正確にはパリではないのですが,フランス西海岸の湾に浮かぶ修道院,「西洋の驚異」として知られるモンサンミシェル
意味的に「モン・サン=ミシェル」Mont Saint-Michel と表記されることもあります。

もし,あなたが「世界遺産」の本の表紙の写真を1枚選べ,と言われたらどこの写真を選びますか?
私は多くの人々がマチュピチュかモンサンミシェルで迷うのではないかと思うのです。

絶対に行きたい! 世界遺産120 (中経の文庫) - アフロ
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当初,パリ最終日はツアーのオプションでモンサンミシェルに行く予定でしたが,なんと希望人数に満たない!
はあ? ここまで来てどこに行くのか!? ブランド品の買い漁り?

けっこう多くの人がディズニーランド・パリ,当時のユーロ・ディズニーランドに行ったようでした。
浦安にだってあるじゃないかと思いましたが,他者のことは仕方がない。

結局個人で申し込むパリ・ヴィジョンというツアーがあるという。行けるか!?
早朝,「左岸」のホテルを出て,「右岸」のオペラ座近くのパリ・ヴィジョンへ。

なんだかんだでチケットをゲット!! 2人で1,620フラン。当時で約3万円弱。

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バスは7時過ぎに出発。このツアーは英語と日本語の2か国語ツアー

ツアー客も様々ですが,ガイドも2人,運転手も2人。
法律の関係で,8時間以上の労働が認められず,行きの運転手と帰りの運転手がいるとか。
そういうところがきっちりしているなあという印象。

でも,どうしてフランスの日本人ガイドさんは語尾を必要以上に伸ばすんでしょう。
「これから~,パリを発ちまして~,モンサンミシェルへ~,参りますぅ~~」

途中の山間部は霧の中
サービスエリアなのかドライブインなのか,途中休憩で買ったキットカットと自販機のカプチーノが美味しかった。

霧を抜けると,そこは田園風景
酪農が多いのか,牛や羊が見えてくる。

やがて遠くに東海道の富士山よろしく,「それ」が見えてきました!
正午近く,わざわざバスを止めての写真タイム。モンサンミシェルの遠景です。

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前置きが長くなったようです。
この湾に浮かぶ修道院まで,当時は道がありましたが,砂が堆積し砂洲化,陸地化が進み,現在は潮の流れを止めないよう脚付きの橋が架けられています。

到着!

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福島県の飯盛山よろしく,両側に並ぶ土産屋さん。
写真,絵葉書,キーホルダー,クッキーなど世界はどこでも同じか。でも白虎刀(木刀)はさすがに売っていません。

ツアーの人と昼食。名物の巨大オムレツとシードルの他に,カモ肉とパン。

これから本院へ入るというときに,白人のおばさんに道を聞かれましたがこちらもわからない。
同じパリ・ヴィジョンのバスだとわかると・・・

I'm glad you speak English.

と言われました。彼女はアメリカのフロリダから来ている。
そうなのです。ここではフランス語を話さない者は異邦人(エトランジェ)etranger なのです。

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最上部には剣と秤を持つ大天使ミカエルの黄金の像が見えます。

上部の修道院は当時で修道僧が2人,尼僧が2人いると聞きました。
ときどき鐘の音も聞こえてきます。ここは観光施設ではなく現役の修道院なのです。

これは影富士ならぬ,「影モンサンミシェル」ではないか!?

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モンサンミシェルの周囲は遠浅の干潟で,干潮時にはこんな風景が見られます。

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結局,買った土産はキーホルダー,クッキー,絵葉書,爪切り,そして日本語版解説本。

これは,パリに戻ってからの街の映画のポスター。
北野映画の「ブラザー」のフランス語版。北野映画は「キタノ・ブルー」と言われる色遣いが評価されています。

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次に向かうのはローマ。ここでも同じ北野映画イタリア版のポスターを見ることになるのでした。

そして,ローマ,ポンペイではさらに西洋の石文化をこれでもかと見せつけらます。

シャルル・ド・ゴール空港を発ち,イタリアのフィウミチーノ空港へ。
アルプスを越えて迎えるクリスマスシーズンの話は,またいつか。

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これで「20世紀末の私的なパリ滞在記」シリーズはおしまいです。
懐かしかったです。ありがとうございました。



この記事へのコメント

2024年08月01日 06:47
おはようございます。

 ご家族の皆様に大事無いと宜しいのですが…、皆様のお早いご回復をお祈りしています。

 観光地って、何処も似通って来るんですね。『でも白虎刀はさすがに売っていません』で思わず吹き出してしまいました。
 YouTubeの動画などを見ていると、フランス人やスイス人、フランス語が母語の人達でも、最近は達者な英語を話す人たちが多いのに気付かされるのですけど、今でもフランス旅行ではフランス語が話せないとetranger になってしまうのでしょうか?
リアルET
2024年08月02日 06:30
あきあかねさん
私は社会復帰できましたが,今は家族が大変です。
昔はフランス人は英語が話せても絶対に話さない,なんてよく言われましたが,どうなんでしょう。今は翻訳機もスマホもありますし,若い人ほど何も苦にしていないような気がします。あの頃は電子翻訳機みたいなものがあるだけでした。スマホがあれば翻訳してくれるし,看板を写しただけで訳してくれますしね。
外国から来た生徒のために,授業の黒板を写しただけで一発英語変換,これには驚きます。