安政元年のはっけよい(6) 大関小柳常吉 VS アメリカ兵
前回,記事の中で引用している「ペリー提督日本遠征記」がホークスの手による編纂の賜物であることを書きました。
1856年にアメリカ議会上院に提出された報告書「Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan Performed in the Years 1852, 1853 and 1854 under the Command of Commodore M.C. Perry, United States Navy」(「アメリカ海軍ペリー提督によるアメリカ艦隊の中国海域及び日本への遠征記 1852~1854年」)全三巻のうち第1巻を訳したのが角川文庫版です。

さて,「安政元年のはっけよい」シリーズも最終回。

夢中になってスモウの取り組みを見ていたアメリカ艦隊の乗組員の中には「大関の小柳と相撲を取りたい」というものが出てきました。
大関小柳常吉 VS アメリカ兵
日米初のスポーツ交流がここに実現します!
「カルチャーラジオ」の谷釜教授によると,その結果は・・・
小柳は同時に力自慢の3人の乗組員と戦い,1人を脇に抱え,1人を押し伏せ,1人を高く持ち上げ圧倒したそうです。

※上の絵は小柳を描いたものではありません。開国以来,力自慢の外国人が日本の力士に挑んだという話題が絵になったものです。
小柳が3人を圧倒する様子を見ていたアメリカ人は手を叩き感動し「どうすればこんなに強くなれるのか」と通訳を通じて尋ねました。
すると小柳は「日本のうまいコメを食べて,うまいサケを飲むことだ」と答えたそうです。

「小倉藩横浜日記」と言う資料には日米の人員が対戦したという記録があるそうです。
稽古相撲の実演が終わった後,喜んだアメリカ人が日本の役人たちを相手に相撲の真似事を始めて,やがて相撲取りたちもこれに参加した,と記されています。
初めて相撲を体験した大柄なアメリカ兵たちは相撲取りに次々に負かされたそうです。
もちろん,これは戯れであって,真剣勝負ではありません。
でも,相撲という日本のスポーツをアメリカ人が体験し,日米の対戦という形で直接の交流が図られたことは史実のようです。
晴れて任務を終えた力士たちは横浜から船に乗り込み,江戸に帰っていきました。
この「安政元年のはっけよい」は日米スポーツ交流の先駆けとなったととらえていいでしょう。
アメリカは野球が生まれた国。その国で大谷選手らが大活躍しています。
私が子どものころは考えられませんでしたが,その風穴を開けたのは野茂選手でした。

逆に,外国人初の幕内力士となった高見山が,多くの外国出身の力士の先駆けとなりました。

ペリー来航から140年以上経っている1998年,長野オリンピックの開会式で土俵入りが披露されました。


アメリカ選手団を先導するのは武蔵丸関。

そして勇壮な雲竜型の土俵入りを披露したのはアメリカ出身の横綱・曙関でした。

シリーズで6回にわたり,日米がスポーツを通して異文化を体験した画期的な出来事について書いてきました。
お読みいただき,ありがとうございました。
1856年にアメリカ議会上院に提出された報告書「Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan Performed in the Years 1852, 1853 and 1854 under the Command of Commodore M.C. Perry, United States Navy」(「アメリカ海軍ペリー提督によるアメリカ艦隊の中国海域及び日本への遠征記 1852~1854年」)全三巻のうち第1巻を訳したのが角川文庫版です。

さて,「安政元年のはっけよい」シリーズも最終回。

夢中になってスモウの取り組みを見ていたアメリカ艦隊の乗組員の中には「大関の小柳と相撲を取りたい」というものが出てきました。
大関小柳常吉 VS アメリカ兵
日米初のスポーツ交流がここに実現します!
「カルチャーラジオ」の谷釜教授によると,その結果は・・・
小柳は同時に力自慢の3人の乗組員と戦い,1人を脇に抱え,1人を押し伏せ,1人を高く持ち上げ圧倒したそうです。

※上の絵は小柳を描いたものではありません。開国以来,力自慢の外国人が日本の力士に挑んだという話題が絵になったものです。
小柳が3人を圧倒する様子を見ていたアメリカ人は手を叩き感動し「どうすればこんなに強くなれるのか」と通訳を通じて尋ねました。
すると小柳は「日本のうまいコメを食べて,うまいサケを飲むことだ」と答えたそうです。

「小倉藩横浜日記」と言う資料には日米の人員が対戦したという記録があるそうです。
稽古相撲の実演が終わった後,喜んだアメリカ人が日本の役人たちを相手に相撲の真似事を始めて,やがて相撲取りたちもこれに参加した,と記されています。
初めて相撲を体験した大柄なアメリカ兵たちは相撲取りに次々に負かされたそうです。
もちろん,これは戯れであって,真剣勝負ではありません。
でも,相撲という日本のスポーツをアメリカ人が体験し,日米の対戦という形で直接の交流が図られたことは史実のようです。
晴れて任務を終えた力士たちは横浜から船に乗り込み,江戸に帰っていきました。
この「安政元年のはっけよい」は日米スポーツ交流の先駆けとなったととらえていいでしょう。
アメリカは野球が生まれた国。その国で大谷選手らが大活躍しています。
私が子どものころは考えられませんでしたが,その風穴を開けたのは野茂選手でした。

逆に,外国人初の幕内力士となった高見山が,多くの外国出身の力士の先駆けとなりました。

ペリー来航から140年以上経っている1998年,長野オリンピックの開会式で土俵入りが披露されました。


アメリカ選手団を先導するのは武蔵丸関。

そして勇壮な雲竜型の土俵入りを披露したのはアメリカ出身の横綱・曙関でした。

シリーズで6回にわたり,日米がスポーツを通して異文化を体験した画期的な出来事について書いてきました。
お読みいただき,ありがとうございました。
この記事へのコメント
なるほど、先生はこのシリーズで「スポーツにおける異文化交流」という事を書かれたわけですね。とてもよく分かりました。
そういえば、最近もアメリカのフット―ボール選手たちがすもー体験をした動画が有りましたね。以下にタイトルとURLを貼っておきます。
「Micah Parsons vs. 17-Year-Old Sumo Wrestler w/ C.J. Stroud | Micah & C.J. Take Tokyo, Ep. 1」
https://www.youtube.com/watch?v=54S_18vmS5c
来日外国人たちには相撲見学は大人気らしいですよ。
おはようございます。
ペリー来航のときに力士が出迎えた話はなんとなく知っていたんですが,ラジオで詳しく聞いたときにこれは書かねばと思いました。日本のちょっと安直な考えもありますが,日米のスポーツ交流の原点がここにあると思い書き進めました。
動画見させていただきました。相撲中継でも外国人と思われる人が観客にいたりします。相撲は早くから外国人に門戸を開いた先見の明があると思います。
そう言えば,小学生の時にスポーツランド菅生でまわしを巻いて相撲を取った記憶がよみがえりました。いったいあれはなんで行ったんだろう? あの時の力士は誰だったんだろう?