美雪とみゆき 谷川俊太郎「私が歌う理由」
週に一度の楽しみ,NHKラジオ第1の番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」で先週聞いた話です。

ほぼ聞いたまま書いてみます。
今から半世紀以上も前の1972年,1人の女子大生が全国フォーク音楽祭に作詞・作曲した曲をもって臨みました。
豊かな才能を持ち,コンテスト荒らしと言われた彼女には自信もありました。
この曲でデビューし,世界にその名をとどろかすのだ,そう思っていたのでした。
予期していた通り,彼女の曲は地区大会で優勝します。
後にラジオのインタビューに答えて,彼女はこう言っています。
「そのときには私はもう舞い上がっていて,私はすごいんだみたいな,これでデビューは確実ね,みたいに思っていました」
そのとき全国大会参加者には自作オリジナルの他にもう1曲,課題として与えられた詩に曲をつけ,その2曲で参加することに決まっていたのです。
その課題の詩とは谷川俊太郎さんの「私が歌う理由(わけ)」という作品でした。
そして谷川さんの詩はその若い女子大生を深く貫いたのでした。
彼女の言葉の続きです。
「なんか舞い上がって,足元ふわふわになっちゃって,私はもう全国大会に出るんだからエライんだから,スターなんだから,みたいに思っていたら,足元をスカッとさらわれたような気がしたの。歌う理由は何ですか? と聞かれたような気がして,カーっと思っちゃって,なんで歌ってるんだろうって思ってた。賞がほしくて歌ってるんだろうかって。もう一回最初から考え直さなきゃって思った」
結局,彼女はデビューの話を断り,田舎に戻ります。一からやり直すためにです。
次に彼女が姿を現したのは,その3年後の1975年。デビュー曲とその直後,第10回ポピュラーソングコンテストと第6回世界歌謡祭でグランプリを受賞した別の曲によって。
その3年前,美しい雪と書いて「美雪」と呼ばれたその名前をひらがなの「みゆき」に変えて。
言うまでもなく中島みゆきさんのことですね。

谷川さんの詩「私が歌う理由」はこんなふうに始まります。
私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫
そして次々,私が歌うわけが語られていきます。
私が歌うわけは
いっぽんのけやき
根をたたれ枯れてゆく
いっぽんのけやき
そして最後に,こう終わります。
私が歌うわけは
一滴の涙
くやしさといらだちの
一滴の涙
人を一刀両断に引き裂くほどの言葉の力。
それが一人の歌い手を生み出したのでした。
ここまでが高橋源一郎さんが話したことです。
1972年のときのLPレコードは発売されているのですが,幻のレコードと言われ手に入らないそうです。
谷川さんの詩に曲をつけた3曲が収められているそうですが,中島さんの曲は入っていません。
彼女が曲をつけたかどうかも謎だそうです。
藤女子大学文学部国文科の大学生中島美雪の卒業論文は「現代詩ー谷川俊太郎ー」。
大学時代から,彼女が谷川氏の詩を愛読していたのは有名な話。
でも,上記の詩は最新の詩でおそらく彼女は初めて出会ったのでしょう。
「私が歌う理由」は1974年出版の「空に小鳥がいなくなった日」に収められています。
これは私が大学時代に何度も何度も繰り返し読んだ2冊。
谷川さんの詩集と中島みゆきさんの歌詞とエッセイを集めた本。

谷川さんのこの本には「空に小鳥がいなくなった日」からも数編の詩が収められていますが,上記の詩は載っていません。
まさか,二人の偉大な作り手の間に,ここまでの関係があるとはしりませんでした。
次回,もうちょっと,このことについて書いてみたいと思います。
ほぼ聞いたまま書いてみます。
今から半世紀以上も前の1972年,1人の女子大生が全国フォーク音楽祭に作詞・作曲した曲をもって臨みました。
豊かな才能を持ち,コンテスト荒らしと言われた彼女には自信もありました。
この曲でデビューし,世界にその名をとどろかすのだ,そう思っていたのでした。
予期していた通り,彼女の曲は地区大会で優勝します。
後にラジオのインタビューに答えて,彼女はこう言っています。
「そのときには私はもう舞い上がっていて,私はすごいんだみたいな,これでデビューは確実ね,みたいに思っていました」
そのとき全国大会参加者には自作オリジナルの他にもう1曲,課題として与えられた詩に曲をつけ,その2曲で参加することに決まっていたのです。
その課題の詩とは谷川俊太郎さんの「私が歌う理由(わけ)」という作品でした。
そして谷川さんの詩はその若い女子大生を深く貫いたのでした。
彼女の言葉の続きです。
「なんか舞い上がって,足元ふわふわになっちゃって,私はもう全国大会に出るんだからエライんだから,スターなんだから,みたいに思っていたら,足元をスカッとさらわれたような気がしたの。歌う理由は何ですか? と聞かれたような気がして,カーっと思っちゃって,なんで歌ってるんだろうって思ってた。賞がほしくて歌ってるんだろうかって。もう一回最初から考え直さなきゃって思った」
結局,彼女はデビューの話を断り,田舎に戻ります。一からやり直すためにです。
次に彼女が姿を現したのは,その3年後の1975年。デビュー曲とその直後,第10回ポピュラーソングコンテストと第6回世界歌謡祭でグランプリを受賞した別の曲によって。
その3年前,美しい雪と書いて「美雪」と呼ばれたその名前をひらがなの「みゆき」に変えて。
言うまでもなく中島みゆきさんのことですね。
谷川さんの詩「私が歌う理由」はこんなふうに始まります。
私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫
そして次々,私が歌うわけが語られていきます。
私が歌うわけは
いっぽんのけやき
根をたたれ枯れてゆく
いっぽんのけやき
そして最後に,こう終わります。
私が歌うわけは
一滴の涙
くやしさといらだちの
一滴の涙
人を一刀両断に引き裂くほどの言葉の力。
それが一人の歌い手を生み出したのでした。
ここまでが高橋源一郎さんが話したことです。
1972年のときのLPレコードは発売されているのですが,幻のレコードと言われ手に入らないそうです。
谷川さんの詩に曲をつけた3曲が収められているそうですが,中島さんの曲は入っていません。
彼女が曲をつけたかどうかも謎だそうです。
藤女子大学文学部国文科の大学生中島美雪の卒業論文は「現代詩ー谷川俊太郎ー」。
大学時代から,彼女が谷川氏の詩を愛読していたのは有名な話。
でも,上記の詩は最新の詩でおそらく彼女は初めて出会ったのでしょう。
「私が歌う理由」は1974年出版の「空に小鳥がいなくなった日」に収められています。
これは私が大学時代に何度も何度も繰り返し読んだ2冊。
谷川さんの詩集と中島みゆきさんの歌詞とエッセイを集めた本。
谷川さんのこの本には「空に小鳥がいなくなった日」からも数編の詩が収められていますが,上記の詩は載っていません。
まさか,二人の偉大な作り手の間に,ここまでの関係があるとはしりませんでした。
次回,もうちょっと,このことについて書いてみたいと思います。
この記事へのコメント
’75年のヤマハのポプコンは、ラジオで評論を聞いただけでしたので、入賞曲の「傷ついた翼」は後でレコードで聞いています。評論では北海道から天才が現れた、とか言っていたのですが、この時は「へ~」くらいにしか思いませんでした。
でも、その後に出たレコードの「アザミ嬢のララバイ」を聞いた時は、「お、すげぇ、浅川マキの再来だ!」と思いました。当時私は浅川マキに嵌っていたからです。
それと同時に、ポプコングランプリの「時代」は壮大でしたねぇ。あれにはまいりました。「あ、なるほど天才だわ」って納得しました。聞くところによると、この時すでに100曲以上のオリジナル曲を持っていたそうです。
あれから半世紀ですか…
おはようございます。
次の回ではその頃のことを動画を入れながら書きました。あのころは日曜日だったかテレビでも「ポプコン」の番組があり,中島みゆきさんや八神純子さんがテレビでよく歌っていた気がします。「時代」は永遠の名曲で,20代でこんな曲を作ってしまう人はどんな人なんだろうと思っていました。
人は大きく成長するときに,何かに出会いそれがきっかけになるんですね。