中島みゆきさんのこと

前回はNHKラジオ第1の番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」で聞いた話を,ほぼそのまま書いてみました。

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コンテスト荒らしとまで言われた大学生の中島美雪さんが,谷川俊太郎さんの詩「私が歌う理由(わけ)」に出会います

私が歌う理由(わけ)   谷川俊太郎

私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫

私が歌うわけは
いっぽんのけやき
根をたたれ枯れてゆく
いっぽんのけやき

私が歌うわけは
ひとりの子ども
目をみはり立ちすくむ
ひとりの子ども

私が歌うわけは
ひとりのおとこ
目をそむけうずくまる
ひとりのおとこ

私が歌うわけは
一滴の涙
くやしさといらだちの
一滴の涙


(谷川俊太郎「空に小鳥がいなくなった日」より)

この詩に衝撃を受け,もう一度考え直そうとデビューの話を断り,帯広に戻ります

その3年後に彼女は「中島みゆき」としてデビューしました。

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今回は,もうちょっと詳しく書いてみます。

1972年5月28日,二十歳の中島美雪さんはニッポン放送主催の全国フォーク音楽祭全国大会に北海道地区代表として出場しました。
これがその時の「あたし時々おもうの」の貴重な音源です。



そして彼女は谷川俊太郎さんの詩「私が歌う理由」に出会って,一から考え直すのです。

彼女は大学で教職課程を取っていたため,母校の柏葉高校で教員実習を行いました。
これは新しい校舎でしょうか。

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国語の実習にもかかわらず,彼女は壇上に立つと生徒たちに向かって「私は将来,シンガーソングライターになるつもりです。実習に来たのは単位を取るためです」とあいさつしたとか。

そしてギターを取り出して歌い出したといいます。生徒がけしかけたと書いている人もいます。
いずれにしても,生徒たちは美雪先生の歌に圧倒されたそうです。
この時の生徒たちは今でも覚えているんだろうなあ。

いったんはデビューを断念しましたが,プロの歌手になるという情熱は失っていなかったんですね。
札幌の藤女子大学を卒業後もアマチュア活動を続けます。

本名の「美雪」から歌手名を「みゆき」に変えたことは,新たな決意の表れでしょう。

1975年5月,ヤマハ音楽振興会の主催による「第9回ポピュラーソング・コンテスト」「傷ついた翼」が入賞。
これはその翌年に録音された「傷ついた翼」の弾き語り。



9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコードデビューを果たします。



そして10月,「第10回ポピュラーソング・コンテスト」「時代」によってグランプリを受賞。
11月の「第6回世界歌謡祭」でもグランプリを受賞し,「時代」は12月に2作目のシングルとして発売されました。B面は「傷ついた翼」。

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そのあとの活躍はご存じの通りです。

今回,彼女のことを Wikipedia で見ていて初めて知ったことがあります。
1966年の夏,体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせて山形市に移り,山形市立第六中学校に4カ月通ったことを知りました。
ただ,高校受験のため4カ月で帯広に戻ることになります。

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おそらく,この校舎は新築されたものと思われますが。

彼女に「倒木の敗者復活戦」という曲があります。
最初聞いたときには「東北の敗者復活戦」と聞こえました。

東日本大震災から数年後のことです。きっと彼女は「東北」を「倒木」とかけたのでしょう。彼女に東北での生活があったとは知りませんでした。

この曲については過去記事で。

→ 東北の敗者復活戦?




この記事へのコメント

2024年10月26日 07:10
おはようございます。

 「あたし時々おもうの」の存在は知っていたのですが、今回初めて聞けました。へ~、こういう曲だったのですね。やっぱりちょっと”若い”、と言う印象です。
 「アザミ嬢のララバイ」は何時聞いても良い曲ですねぇ。これはヒットする曲だ、って直ぐ思いました。
 「時代」も、勿論名曲なのですが、私、時々無性に「世情」を聞きたくなります。スローテンポなのですが、内容はロックです。

 ちょっと前にコメントで書いたことがありましたよね。車で長距離を走る際、眠気覚ましに大声で歌っている、って。私の車のHDには中島みゆきの70年代ベストヒットが入っていました。勿論、浅川マキのベストヒットもです。
2024年10月27日 06:39
あきあかねさん
おはようございます。
「あたし時々おもうの」は以前写真を載せた中島みゆきさんの新潮文庫の歌詞集「愛が好きです」(昭和58年版)をよく見たら,歌詞が載っていました。でも,巻末のディスコグラフィには載っていないので,個人名義のレコードにはなっていないのでしょう。
浅川マキさん推し伝わりました! でも私はほとんど存じ上げないんです。寺山さん筋の人というイメージです。