幕末の外国人が見た富士山(1) ペリー

約1か月前に,ペリー来航のときの日本の力士とアメリカ兵の初めてのスポーツ交流について書きました。

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そのときから,いつか書こうと思っていたのですが,幕末に訪れた多くの外国人が富士山を描写していて,どう描写したのかを書いてみようと思います。

まずは「ペリー提督日本遠征記」より。

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ペリー一行は1853年の西洋歴7月に1回目の浦賀来航を行います。日本側で言えば黒船事件と言っていいでしょう。

このときの富士山の描写を見てみましょう。
(英語の原文があれば,もっといいのですが。)

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大気は澄みわたり,あらゆるものがくっきりと見え,四方の景色が絵のように眼前に展開し,富士の高嶺が鮮やかに西岸の高地の上にそびえ立ち,そして10海里先の,江戸に通ずる内港入り口の両側を守っている険しい崖もはっきりと見てとれた。

また,上陸前日,浦賀奉行との事前会見の日,7月13日はもやの深い日だったようです。

あの偉大な陸標――富士の高嶺――もまったく見えなかった。ちなみに,富士山は普通日中より夕方になるにつれて鮮やかに見えてくる。日暮れどきの富士はとりわけ美しく,山頂が夕陽の後光で深紅に輝くのである。


自然描写を残しているところは余裕のペリーですが,それだけ富士山もまた美しかったのでしょう。

最後に,これは私が大宮・上野間の新幹線の窓越しに撮った富士山です。

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この記事へのコメント

2024年10月30日 06:26
おはようございます。

 たしかに、これは原文が見たいですね。ちょっと描写が散文的で、味気ないのですが、これは原文でもそうなのかなあ…
 ひとつだけ救いは、『ちなみに,富士山は普通日中より夕方になるにつれて鮮やかに見えてくる。日暮れどきの富士はとりわけ美しく,山頂が夕陽の後光で深紅に輝くのである』と言う部分、彼の個性が垣間見れる、というか、個性が現れた部分で、私は嬉しくなります。
2024年10月31日 05:58
あきあかねさん
おはようございます。
夕方の富士山は本当にきれいで,大学生のときわざわざバイクに乗って暮れゆく富士山を見に行きました。高台の空地に座って富士急ハイランドの遊具群と富士山が夕日に染まっていく風景は幻想的でした。