幕末の外国人が見た富士山(4) 初代駐日公使・ハリス 前編
ペリー,ウィリアムズ,と来れば,初代駐日公使のタウンゼント・ハリスを忘れるわけにはいけません。
大学時代に,神奈川出身の友人がハリスは富士山に感動したという話をしたのを覚えています。
ハリスの「日本滞在記」は1855年~1858年の日記で,原題は "The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan." で,Mario Emilio Cosenza が編集注解し出版されました。
前回も書いたのですが,ペリー,ウィリアムズ,ハリスの3者はなぜか富士山を「Fusi」と表記しています。
「フシ」「フジ」のどちらで発音したのか,そのあたりはわかりません。
また,ハリスの原文にあたってみると,最初に出てくる「富士山」は Foosie Jama と表記されています。
これだと「フゥズィ」のように発音されたとも考えられます。
The mountain "Siri Jama," 8,000 feet high on the west coast of Japan, is covered with snow the year round, while "Foosie Jama," 12,500, is bare during five months ;
日本の西岸にある高さ8,000フィートの山である「白山」Siri Jama は年中雪におおわれているが,ところで,12,500フィートの「富士山」 Foosie Jama は5ヶ月の間地膚をむき出している。
他の部分では Fusi Yama または Fusiyama と表記されています。では,見てみましょう。
現在の静岡県下田に領事館を構えたハリス一行は散歩に出ます。
1856年9月16日のことです。近隣の最も高い山に登ったとき・・・
we could just see the top of the celebrated Fusi Yama, the highest mountain in Japan, which is 12,500 feet high and not many miles from Yedo.
It is said that this mountain is always crowned with snow, but the distance from which we viewed it was too great to permit us to say whether it was so covered or not. This mountain is the most celebrated spot in Japan. It is the seat of their most terrible volcanoes. It is celebrated in the histories of their gods as the scene of many remarkable events, and its picture figures on everything that is highly decorated.
我々は日本における最高の山である,かの有名な富士山の頂を眺めることができた。その山の高さは 12,500フィートあり,江戸からあまり遠くはない。
この山は年中雪をいただいてるといわれるが,我々が見たところからはあまりに遠かったので,はたして雪におおわれているか,判断することができなかった。この山は日本で最も有名なところである。それは日本で大変怖れられている火山脈中にある。また,日本の神代史にある多くの名高い事件の舞台としても有名であるし,その絵は上品な装飾を施したあらゆる品物に描かれている。
1857年10月4日,この日はハリスの誕生日で53歳になったと書いています。
そして11月,江戸に向かうことになります。その途中で「初めて富士山を見た」と書いていますが,1年前の記述と矛盾します。おそらくこれは,頂けだけでなく「富士山の全体像を初めて見た」という意味でしょう。
11月24日は天城越えの日。天城の山頂で休憩し,江戸を目指します。
下り道の三分の二は馬に乗ったと書いています。
Passing through the village of Yugasima to go to my quarters at a temple, I turned to the right from the road and in a few moments I had my first view of the Mountain Fusi Yama.
It is grand beyond description ; viewed from this place the mountain is entirely isolated and appears to shoot up in a perfect and glorious cone, some ten thousand feet high; while its actual height is exaggerated by the absence of any neighboring hills by which to contrast its altitude. It was covered with snow, and in the bright sun (about four P. M.) it appeared like frosted silver. In its majestic solitude it appeared even more striking to me than the celebrated Dwhalgiri of the Himalayas, which I saw in January, 1855.
湯ケ島の村を通って,宿所の寺院へ向かう途中,その道路から私は右へそれた。そして,その瞬間,私は初めて富士山を見た。
それは名状することのできない偉大な景観であった。ここから眺めると,この山は全く孤立していて,約一万フィート高さで,見たところ完全かつ荘厳な円錐体をなして,そびえたっている。しかも,これと高さを比べる付近の小山がないために,その実際の高さ以上になって見える。それは雪でおおわれていた。輝いた太陽の中で(午後4時ごろ),凍った銀のように見えるた。その荘厳な孤高の姿は,私が1855年1月に見たヒマラヤ山脈の有名なダウラギリよりも目ざましいとさえ思われた。
これはヒマラヤ山脈ダウラギリの南壁。
これは湯ケ島方面から見た富士山です。ハリスはこんなふうな富士山を見たのでしょうか。
日本語訳は岩波文庫「日本滞在記」を元にし,多少の表記や表現を変更しました。
長くなりそうなので,ハリス編は来週につづく。
大学時代に,神奈川出身の友人がハリスは富士山に感動したという話をしたのを覚えています。
ハリスの「日本滞在記」は1855年~1858年の日記で,原題は "The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan." で,Mario Emilio Cosenza が編集注解し出版されました。
前回も書いたのですが,ペリー,ウィリアムズ,ハリスの3者はなぜか富士山を「Fusi」と表記しています。
「フシ」「フジ」のどちらで発音したのか,そのあたりはわかりません。
また,ハリスの原文にあたってみると,最初に出てくる「富士山」は Foosie Jama と表記されています。
これだと「フゥズィ」のように発音されたとも考えられます。
The mountain "Siri Jama," 8,000 feet high on the west coast of Japan, is covered with snow the year round, while "Foosie Jama," 12,500, is bare during five months ;
日本の西岸にある高さ8,000フィートの山である「白山」Siri Jama は年中雪におおわれているが,ところで,12,500フィートの「富士山」 Foosie Jama は5ヶ月の間地膚をむき出している。
他の部分では Fusi Yama または Fusiyama と表記されています。では,見てみましょう。
現在の静岡県下田に領事館を構えたハリス一行は散歩に出ます。
1856年9月16日のことです。近隣の最も高い山に登ったとき・・・
we could just see the top of the celebrated Fusi Yama, the highest mountain in Japan, which is 12,500 feet high and not many miles from Yedo.
It is said that this mountain is always crowned with snow, but the distance from which we viewed it was too great to permit us to say whether it was so covered or not. This mountain is the most celebrated spot in Japan. It is the seat of their most terrible volcanoes. It is celebrated in the histories of their gods as the scene of many remarkable events, and its picture figures on everything that is highly decorated.
我々は日本における最高の山である,かの有名な富士山の頂を眺めることができた。その山の高さは 12,500フィートあり,江戸からあまり遠くはない。
この山は年中雪をいただいてるといわれるが,我々が見たところからはあまりに遠かったので,はたして雪におおわれているか,判断することができなかった。この山は日本で最も有名なところである。それは日本で大変怖れられている火山脈中にある。また,日本の神代史にある多くの名高い事件の舞台としても有名であるし,その絵は上品な装飾を施したあらゆる品物に描かれている。
1857年10月4日,この日はハリスの誕生日で53歳になったと書いています。
そして11月,江戸に向かうことになります。その途中で「初めて富士山を見た」と書いていますが,1年前の記述と矛盾します。おそらくこれは,頂けだけでなく「富士山の全体像を初めて見た」という意味でしょう。
11月24日は天城越えの日。天城の山頂で休憩し,江戸を目指します。
下り道の三分の二は馬に乗ったと書いています。
Passing through the village of Yugasima to go to my quarters at a temple, I turned to the right from the road and in a few moments I had my first view of the Mountain Fusi Yama.
It is grand beyond description ; viewed from this place the mountain is entirely isolated and appears to shoot up in a perfect and glorious cone, some ten thousand feet high; while its actual height is exaggerated by the absence of any neighboring hills by which to contrast its altitude. It was covered with snow, and in the bright sun (about four P. M.) it appeared like frosted silver. In its majestic solitude it appeared even more striking to me than the celebrated Dwhalgiri of the Himalayas, which I saw in January, 1855.
湯ケ島の村を通って,宿所の寺院へ向かう途中,その道路から私は右へそれた。そして,その瞬間,私は初めて富士山を見た。
それは名状することのできない偉大な景観であった。ここから眺めると,この山は全く孤立していて,約一万フィート高さで,見たところ完全かつ荘厳な円錐体をなして,そびえたっている。しかも,これと高さを比べる付近の小山がないために,その実際の高さ以上になって見える。それは雪でおおわれていた。輝いた太陽の中で(午後4時ごろ),凍った銀のように見えるた。その荘厳な孤高の姿は,私が1855年1月に見たヒマラヤ山脈の有名なダウラギリよりも目ざましいとさえ思われた。
これはヒマラヤ山脈ダウラギリの南壁。
これは湯ケ島方面から見た富士山です。ハリスはこんなふうな富士山を見たのでしょうか。
日本語訳は岩波文庫「日本滞在記」を元にし,多少の表記や表現を変更しました。
長くなりそうなので,ハリス編は来週につづく。
この記事へのコメント
今度はハリスですね。
なかなかの名文ですね。特に『majestic solitude 』と言う表現が気に入りました。
おはようございます。コメント遅くなりました。
ハリスを抜かすわけにはいきません。やはり,富士山の素晴らしいところは独立峰だということでしょう。「孤高」であることは人を惹きつけますね。
ただ,このシリーズどこまで書いたらいいのか,明治に入ってからも書いていっていいのかどうしようかな。