幕末の外国人が見た富士山(4) 初代駐日公使・ハリス 後編
前回に続き,初代駐日公使・ハリスの「日本滞在記」から,ハリスが見た富士山。
「日本滞在記」の原題は "The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan" 。
前回も書きましたが,ハリスは「富士」を Foosie または Fusi と記述しています。
前回,天城越えをして見た「荘厳で孤高」な富士山に感動したハリスですが,東海道の三島宿に出ると違った感想を持ちます。どうも富士山を眺めるには距離が関係するようです。
1857年11月25日
I have had Fusi Yama in view all day, but alas! like many other things in this world, the nearer approach does not add to its beauty or grandeur.
It is now connected with a range of hills, one of which, Hakone, is some forty-five hundred feet high, which takes away the air of solitary majesty which the view from Yugasima has. " 'Tis distance lends enchantment to the view." To-morrow I have to cross over the mountain Hakone,...
私は富士山を終日眺めてきた。しかし,悲しいかな。この世の他の多くのものに見るように,より近づくことによってその美観と偉容を加えはしない。
今見る富士山は,一脈の諸山に連なっている。その一つである箱根山の高さはおよそ4,500フィートなので,それは湯ケ島から眺めた富士山の孤立した崇高な風姿を台なしにしている。「距離は眺望に魅力を加える」。明日私は箱根山を越えなければならない。(略)
そして翌日,箱根を登ります。
Near the top of the mountain I was taken to a temple built by Yeyas, the founder of the present dynasty of Tykoons. From the top of Hakone we had a fine view of the City and Bay of Suruga. Fusiyama was quite near, and altogether a different affair from the glorious view at Yugasima.
山頂付近で,私は家康が建立した神社へ案内された。家康は現在の徳川幕府の創建者である。箱根の山頂から,我々は駿河の村と駿河湾の美しい景色を見た。富士山は目前に迫っているが,それは湯ケ島で見たときの壮麗さとはまるで異なったものであった。
ハリスが山頂(峠)で見た富士山(右側でいちばん高い山?)はこんな感じなのかなあ。
その後,ハリス一行は関所に行きますが,「富士の山腹を吹きおろす寒風」で Fusi Yama と表記しています。
11月28日に一行は藤沢を発ちます。江戸が近づいてきました。
See many marks of the typhoon of September, 1856, along the road. Fusi Yama begins to improve in appearance as we recede from it. The villages are larger and more closely connected than on yesterday's route. The people, all in holiday costume, are kneeling on mats in front of their houses, as I pass.
道路に沿って,1856年9月の台風による被害の痕が多数見られる。富士山は,それから遠ざかるにしたがって,姿がよく見えはじめる。途中の村々は,昨日通った村々より大きく,いっそう密接につらなっている。人々は祭日の晴着を着て,私が通るとき,彼らの家々の前のむしろにひざまずいている。
残念ながら,江戸から見た富士山の描写はないようです。
ただ,江戸城の火鉢で「灰の代わりに雪のように真っ白な坭石の粉末を,富士山 Fuji Yama に見立ててきれいに盛り上げ,その頂に噴火口のように口を開けて木炭を入れていた」と描写しています。
最後に,ハリスは自分のことを「外交官の資格をもって江戸の大都市を訪問した最初の外国人」と書いています。
「日本滞在記」の原題は "The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan" 。
前回も書きましたが,ハリスは「富士」を Foosie または Fusi と記述しています。
前回,天城越えをして見た「荘厳で孤高」な富士山に感動したハリスですが,東海道の三島宿に出ると違った感想を持ちます。どうも富士山を眺めるには距離が関係するようです。
1857年11月25日
I have had Fusi Yama in view all day, but alas! like many other things in this world, the nearer approach does not add to its beauty or grandeur.
It is now connected with a range of hills, one of which, Hakone, is some forty-five hundred feet high, which takes away the air of solitary majesty which the view from Yugasima has. " 'Tis distance lends enchantment to the view." To-morrow I have to cross over the mountain Hakone,...
私は富士山を終日眺めてきた。しかし,悲しいかな。この世の他の多くのものに見るように,より近づくことによってその美観と偉容を加えはしない。
今見る富士山は,一脈の諸山に連なっている。その一つである箱根山の高さはおよそ4,500フィートなので,それは湯ケ島から眺めた富士山の孤立した崇高な風姿を台なしにしている。「距離は眺望に魅力を加える」。明日私は箱根山を越えなければならない。(略)
そして翌日,箱根を登ります。
Near the top of the mountain I was taken to a temple built by Yeyas, the founder of the present dynasty of Tykoons. From the top of Hakone we had a fine view of the City and Bay of Suruga. Fusiyama was quite near, and altogether a different affair from the glorious view at Yugasima.
山頂付近で,私は家康が建立した神社へ案内された。家康は現在の徳川幕府の創建者である。箱根の山頂から,我々は駿河の村と駿河湾の美しい景色を見た。富士山は目前に迫っているが,それは湯ケ島で見たときの壮麗さとはまるで異なったものであった。
ハリスが山頂(峠)で見た富士山(右側でいちばん高い山?)はこんな感じなのかなあ。
その後,ハリス一行は関所に行きますが,「富士の山腹を吹きおろす寒風」で Fusi Yama と表記しています。
11月28日に一行は藤沢を発ちます。江戸が近づいてきました。
See many marks of the typhoon of September, 1856, along the road. Fusi Yama begins to improve in appearance as we recede from it. The villages are larger and more closely connected than on yesterday's route. The people, all in holiday costume, are kneeling on mats in front of their houses, as I pass.
道路に沿って,1856年9月の台風による被害の痕が多数見られる。富士山は,それから遠ざかるにしたがって,姿がよく見えはじめる。途中の村々は,昨日通った村々より大きく,いっそう密接につらなっている。人々は祭日の晴着を着て,私が通るとき,彼らの家々の前のむしろにひざまずいている。
残念ながら,江戸から見た富士山の描写はないようです。
ただ,江戸城の火鉢で「灰の代わりに雪のように真っ白な坭石の粉末を,富士山 Fuji Yama に見立ててきれいに盛り上げ,その頂に噴火口のように口を開けて木炭を入れていた」と描写しています。
最後に,ハリスは自分のことを「外交官の資格をもって江戸の大都市を訪問した最初の外国人」と書いています。
この記事へのコメント
ハリスさん、『 the nearer approach does not add to its beauty or grandeur』などと、なかなかの名言を残されていますね。俗に、「夜目、遠目、傘の内」とかも言いますし(笑)、はっきり見えることが良いとも言えません。私も、富士登山よりも「三保の松原の富士」とか、「本栖湖の赤富士」とか、遠目に見る富士山の方が好きです。
おはようございます。
私の好きな富士山は稜線がきれいに広がっている富士山。特に形が整った山梨側で,その中でも河口湖とか太宰がいた御坂峠から見た富士山が好きです。太宰は甲府から見た富士山をほおずきに例えましたが,山頂付近しか見えない富士山は驚きこそあれ,裾野が見えないのがもどかしくて仕方ないのです。