幕末の外国人が見た富士山(5) シュリーマン

幕末の日本開国に重要な役割を果たした3人が記述した「富士山」について書きましたが,今回はドイツの考古学者,実業家のハインリッヒ・シュリーマン

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トロイア遺跡発掘に先立つ6年前,シュリーマンは世界旅行の途中,中国につづき幕末の日本を訪れました
講談社学術文庫「シュリーマン旅行記 清国・日本」から。

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原文はフランス語なのでしょうか。

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シュリーマンは上海を出て蒸気船北京号で横浜に向かいます。

途中,硫黄島火山(現在の鳥島)のすぐ近くを通り,円錐型の大きな上部火口からさかんに噴煙が立ち昇り,山腹の火口からは溶岩が流れ出し海に注ぎ込む様子を見ています。

また,波の上を200から600メートル飛ぶトビウオの群れを見て,「この上なく美味だった」と書いています。

シュリーマンの文章(和訳)から。

(1865年)6月3日午前10時ごろ,150マイル彼方に,有名な火山富士山(フジヤマ)を望む。標高4,725(3,776の誤り)メートルで,万年雪に覆われた山頂が遥か雲の上にそびえている。フジヤマは霊山で,各地から巡礼者が訪れる
船が横浜に近付くにつれて,われわれはこの火山をよりはっきりと目にすることができた。横浜と富士山との間はわずか80マイルである。


横浜は開港以来大都市になっていきましたが,もともとは小さな村。浮世絵になるような場所ではありませんでした。これは東海道五十三次の川崎宿。

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そして現在の大都会・横浜と富士山

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横浜滞在中,あちこち遠出をした中で特に興味深かったのは絹の生産地・八王子だそうで,イギリス人6人と連れ立って行きました。
6月18日,貸し馬屋から馬を借り,馬丁を7人雇い,八王子に向かいます。

前方にはつねに巨大な火山・富士山(フジヤマ)が見えていた。80マイルも彼方の山がまるで間近にそびえているようだった頂上は万年雪に覆われている。標高は4,725メートル(3,7,76メートルの誤り),噴火口は長径1,100メートル,短径600メートル,深さ350メートルである。

これは八王子から見た富士山

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気になるのは,横浜でも八王子でも頂上は「万年雪」と書いているのですが,6月でも雪があったのかなあ。

この後,シュリーマンは念願の江戸に行くこともできました。くわしくはこの本で。
本書は横浜港からサンフランシスコに向かう船中約50日の間に書きあげられたそうです。

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325)) - ハインリッヒ・シュリーマン, 石井 和子
シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325)) - ハインリッヒ・シュリーマン, 石井 和子

シュリーマンは商才に恵まれ,巨万の富を築き,世界一周の旅に出て,さらにこの本の出来事の6年後にトロイア遺跡発掘に成功しました。



この記事へのコメント

2024年11月06日 06:30
おはようございます。

 シュリーマンの日本旅行記が文庫になっているのを知りませんでした。ちょっと本屋で覗いてみようかな?
 富士山って、万年雪になりましたっけ(笑)
2024年11月07日 06:25
あきあかねさん
おはようございます。
検索すると,6月にはまだ雪があるようですが,万年雪ではないと思うんですよね。まあ,火口内には万年雪があるみたいですが,下からはそう見えない気がします。