明治の外国人が見た富士山(1) イザベラ・バード

幕末の外国人が見た富士山について過去数回に分けて書いてきましたが,勢いで「明治」の世に訪れた外国人が描いた富士山についても書いていきます。

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明治の第1回目は,1878年(明治11年),日本を訪れたイギリス人で旅行家・探検家のイザベラ・バード

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彼女は6月から通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし,東京を起点に日光から新潟県へ抜け,日本海側から北海道に至る北日本を旅しました。
また,10月から神戸,京都,伊勢,大阪を訪ねました。

その様子は, Unbeaten Tracks in Japan (日本における人跡未踏の道)としてまとめられました。

Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior, Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikkô and Isé (Cambridge Library Collection - Travel and Exploration in Asia) - Bird, Isabella Lucy
Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior, Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikkô and Isé (Cambridge Library Collection - Travel and Exploration in Asia) - Bird, Isabella Lucy

冒頭の「はしがき」では「(私の)全行程を踏破したヨーロッパ人はこれまでに一人もいなかった」と記し,この紀行が既存の日本旅行記とは性格を異にすることを明言しています。

また,「奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが,まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず,まったく安全に旅行できる国はない」とも書いています。

日本では「日本奥地紀行」として知られています。

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー329) - イザベラ・バード, 高梨 健吉
日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー329) - イザベラ・バード, 高梨 健吉

私が持っているのは講談社学術文庫でこちらでは「イザベラ・バードの日本紀行」で,上巻から富士山の記述を書きます。(下巻は関西編です。)

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イザベラが世界旅行の最初に選んだのが日本。1878年5月21日,船は横浜港を目指します。

For long I looked in vain for Fujisan, and failed to see it, though I heard ecstasies all over the deck, till accidentally looking heavenwards instead of earthwards, I saw far above any possibility of height, as one would have thought, a huge, truncated cone of pure snow, 13,080 feet above the sea, from which it sweeps upwards in a glorious curve, very wan, against a very pale blue sky, with its base and the intervening country veiled in a pale grey mist.

甲板じゅうで歓声があがっていたものの,わたしはずっと探しても富士山が見えなかったのですが,ふと陸ではなく空を見上げると,予想していたよりはるか高いところに,てっぺんを切った純白の巨大な円錐が見えました。海抜13,080フィート(=約3,987メートル)のこの山はとても淡いブルーの空を背に,海面の高さからとても青白い,光り輝くカーブ描いてそびえ立ち,その麓の中腹も淡いグレーのもやにかすんでいます。


アメリカ人ペリーもイギリス人フォーチュンも「富士」を「Fusi」と表記していたのに,イギリス人のイザベラ・バード「Fuji」と表記しています。明治になっては表記が「Fuji」で安定したのでしょうか。

It was a wonderful vision, and shortly, as a. vision, vanished. Except the cone of Tristan d’Acunha — also a cone of snow — I never saw a mountain rise in such lonely majesty, with nothing near or far to detract from its height and grandeur. No wonder that it is a sacred mountain, and so dear to the Japanese that their art is never weary of representing it. It was nearly fifty miles off when we first saw it.

それはすばらしい幻想のような眺めで,いかにも幻想らしくまもなく消えてしまいました。やはり円錐形の雪山であるトリスタン・ダク―ニャ山は別として,これほどその高さと威容を損なうものが付近にも遠くにもなにひとつない,孤高の山は見たことがありません。日本人にとっては聖なる山であり,飽くことなく芸術作品の題材とするほど大切にしているのもふしぎはありません。最初目にしたとき,この山はほぼ50マイル(=約80キロ)のところにありました。


富士山の孤高さ,神聖さをきちんと記述していると思われます。

気になるのが,文章に出てきたトリスタン・ダクーニャですが,南大西洋の南極に近い孤島で,行政的にはイギリスの海外領土,そして島の名前でもあります。
ギネスでは「世界一孤立した有人島」だそうで,約260人が住んでいるとか。

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「日本奥地紀行」の挿絵は日本人画家の手によるもの3点をのぞき,イザベラ・バード自身が描いたスケッチか日本の写真から版を起こしたものだそうで,下のスケッチはイザベラ自身のものかもしれません。

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ちょっとデフォルメし過ぎかもしれませんね(笑)。

「日本奥地紀行」明治期の外国人の視点を通して日本を知る貴重な文献であると同時に,アイヌの人々の生活ぶりや風俗については,まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況を詳らかに紹介したほぼ唯一の文献だそうです。

日本以外は,インドからペルシャ,チベットへ旅し,1893年,世界各地の辺地旅行記の出版などの功績が認められてヴィクトリア女王に謁見。

1894年,アメリカ・カナダ経由で清国,そして再び日本。
1897年までに,4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ「朝鮮紀行」「中国奥地紀行」を出版。
1901年には半年間モロッコを旅しています。

他にも「カナダ・アメリカ紀行」「ロッキー山脈踏破行」「ハワイ紀行」「チベット紀行」などなど紀行文は多岐にわたっています。



この記事へのコメント

2024年11月08日 06:08
おはようございます。

 私の所にあるのは平凡社東洋文庫版の「完訳 日本奥地紀行」です。もう10年以上前に買ったものですが、しばしば参考にしています。当時の日本人には当たり前すぎて採り上げられていない事柄が、この本には記録されている、という事が多々あり、とても勉強になります。ただ、しばしば英国婦人的視点(プロテスタントの)がありますので、それは注意しなければならないのですけど…

 ネタバレになるといけないので、この本からの私の引用は控えます。
2024年11月09日 06:07
あきあかねさん
おはようございます。
イザベラ・バードについてはたくさん書くべきことがありそうですが,富士山に焦点を当てているので,一話完結です。残念なのは東北については日本海側を北上したので宮城県や仙台は通らなかったこと。帰路は船のようですね。山形の置賜地方をエデンの園に例えているので,仙台だったらどう描写したのでしょう。