明治の外国人が見た富士山(2) エリザ・シドモア 前編
前回のイザベラ・バードに続いては,アメリカの著作家・写真家・地理学者のエリザ・ルアマー・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore,1856-1928)です。
アイオワ州に生まれた彼女が旅行に関心を抱いたのは,外交官の兄ジョージ・シドモアによる所が大きいようで,エリザはしばしば兄の任務に同行し,外交官という地位を借りて,一般の旅行者には立ち入ることのできない地域へも渡航することができたようです。
エリザの日本訪問は1884年(明治17年)に在横浜米国総領事館に勤務していた兄を訪ねたのが初めてとされ,兄ジョージは後に横浜総領事に昇格,エリザもしばしば来日・滞在し,新渡戸稲造夫妻とは終生交流があったそうです。
彼女の日本滞在記は Jinrikisha Days in Japan 「日本・人力車旅情」として1891年に刊行されます。これは当時の表紙と思われます。アルファベットが日本語風にデザインされています。
私が持っているのは講談社学術文庫「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー」。
親日家で,第一章の冒頭から日本を褒めすぎています。
よほど,他のアジアの諸国の印象が悪かったのでしょうか。「その光景はまるで天国」「暮らしのさまは清潔で美しく,かつ芸術的で独特の風情」「礼儀正しく洗練された東洋の華」「陽気で明るく友好親善に満ち,魅力あふれる審美的民族の島」。
富士山については「扇,提灯,箱,皿のデザインで馴染み深い冨士山」と記述しており,この時代には富士山は西洋社会でもある程度の馴染みができていたのでしょう。
In winter the first sign of land is a distant silver dot on the horizon, which in summer turns to blue or violet, and gradually enlarges into the tapering cone of Fuji, sloping upward in faultless lines from the water's edge. One may approach land many times and never see Fuji, and during my first six months in Japan the matchless mountain refused to show herself from any point of view.
冬に見られる最初の陸地の目印は,はるか水平線の銀色の点です。夏には,これが青やすみれ色に変わり,海面から完全無欠の傾斜線が上方に向かい,徐々に延びて先細りの円錐形となります。船は何度も陸地へ接近しますが,かえって富士の姿を見ることができません。日本に着いた初めの六ヵ月間,この無比の山はどの地点からも姿を見せるのを嫌がっていたことを覚えています。
エリザは写真家でもあったので,この写真も彼女の手によるものでしょうか。
また,こんな文章もあります。
In summer Fuji's purple cone shows only ribbon stripes of white near its apex. For the rest of the year it is a silvery, shining vision, rivalled only by Mount Rainier, which, pale with eternal snows, rises from the dense forests of Puget Sound to glass itself in those green waters.
夏になると,紫の円錐形富士が頂上付近に雪によるリボン状の白い縞模様を見せて一年中銀色に輝き,レーニア山だけが唯一のライバルとなり,万年雪の青白い山は,ピュージェット湾の濃い森からそびえ,緑の水面に影を落としています。
ハリスがヒマヤラのダウラギリと,イザベラ・バードもトリスタン・ダク―ニャ山と比較したように,エリザも富士山をレーニア山と比べています。こちらがシアトルから見たレーニア山(タコマ富士)。
他にも富士山についての記述はたくさん見つかるのですが,エリザ・シドモアについて特筆すべきは,彼女は富士山に登っているのです!
エリザの富士登山について,詳細は本を読んでいただくとして,概略だけ書きます。
・7月の第3週目に話し合い,男性4名,女性3名,日本人ボーイ2人,総勢9名が参加。
・蒸気機関車で相模湾の海岸沿いを走り,国府津で遊覧四輪馬車に乗り換え。
・人力車に乗り換え,狭い谷あいを登る。
・宮ノ下泊。寄木細工の仕上げの良さ,値段の安さに驚く。
・案内役兼ポーター(荷物運搬人)を雇い,乙女峠経由で御殿場に到着。
・人力車に乗り換え,須走(すばしり)を目指す。
・途中の休み所では,富士登山外国人部隊を見て婦人や子どもが目を丸くして驚く。
・須走の村人が街道に集まり,一行を歓迎してくれる。
・古びた神社へ導く鳥居があり,富士巡礼の全員が祈りを捧げる。
We rose with the sun at four o'clock, looked at Fuji, all pink and lilac in the exquisite atmosphere of the morning, snatched a hasty breakfast and set off, the women in their kagos and the men on mettlesome steeds that soon took them out of sight along the broad cindery avenue leading to the base of the slanting mountain. In that clear light Fuji looked twice its twelve thousand feet above the sea, and the thought of toiling on foot up the great slope was depressing.
午前4時,私たちは太陽とともに起床し,えもいわれぬ朝の大気の中で全山ピンクと薄紫になっている富士を仰ぎました。あわただしく朝食をとり,女性は駕籠に乗り,男性は乗馬で元気いっぱい出発すると,すぐに山麓からつながっている道で,燃殻を広く敷き詰めた並木道に連れ出されました。明るい光の中に海抜12,000フィートの富士が倍になって見え,その瞬間「この大斜面を苦労しても足を使って登るぞ」という気持ちが急に萎えてしまいました。
富士山の高さを目の当たりにして,圧倒されています。
この後,登山に備えて2日間の休養をとります。
彼女の記述によると,毎年3万人近くの巡礼が富士山に登る。ちなみに今年は20万4千人登ったようです。
聖地巡礼団の多くは農業従事者で年会費を収め,順番に負担してもらい旅に出る。
また,山の女神フジは同性を嫌い,女性を襲い空中に放り投げるので,日本婦人の登山を妨げている。
馬で登るのは,落馬の危険があるので許可されていない,とも書いています。
さあ,いよいよ登山開始・・・ですが,彼女については登山だけでなく長くなりそうなので,後半につづく。
アイオワ州に生まれた彼女が旅行に関心を抱いたのは,外交官の兄ジョージ・シドモアによる所が大きいようで,エリザはしばしば兄の任務に同行し,外交官という地位を借りて,一般の旅行者には立ち入ることのできない地域へも渡航することができたようです。
エリザの日本訪問は1884年(明治17年)に在横浜米国総領事館に勤務していた兄を訪ねたのが初めてとされ,兄ジョージは後に横浜総領事に昇格,エリザもしばしば来日・滞在し,新渡戸稲造夫妻とは終生交流があったそうです。
彼女の日本滞在記は Jinrikisha Days in Japan 「日本・人力車旅情」として1891年に刊行されます。これは当時の表紙と思われます。アルファベットが日本語風にデザインされています。
私が持っているのは講談社学術文庫「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー」。
親日家で,第一章の冒頭から日本を褒めすぎています。
よほど,他のアジアの諸国の印象が悪かったのでしょうか。「その光景はまるで天国」「暮らしのさまは清潔で美しく,かつ芸術的で独特の風情」「礼儀正しく洗練された東洋の華」「陽気で明るく友好親善に満ち,魅力あふれる審美的民族の島」。
富士山については「扇,提灯,箱,皿のデザインで馴染み深い冨士山」と記述しており,この時代には富士山は西洋社会でもある程度の馴染みができていたのでしょう。
In winter the first sign of land is a distant silver dot on the horizon, which in summer turns to blue or violet, and gradually enlarges into the tapering cone of Fuji, sloping upward in faultless lines from the water's edge. One may approach land many times and never see Fuji, and during my first six months in Japan the matchless mountain refused to show herself from any point of view.
冬に見られる最初の陸地の目印は,はるか水平線の銀色の点です。夏には,これが青やすみれ色に変わり,海面から完全無欠の傾斜線が上方に向かい,徐々に延びて先細りの円錐形となります。船は何度も陸地へ接近しますが,かえって富士の姿を見ることができません。日本に着いた初めの六ヵ月間,この無比の山はどの地点からも姿を見せるのを嫌がっていたことを覚えています。
エリザは写真家でもあったので,この写真も彼女の手によるものでしょうか。
また,こんな文章もあります。
In summer Fuji's purple cone shows only ribbon stripes of white near its apex. For the rest of the year it is a silvery, shining vision, rivalled only by Mount Rainier, which, pale with eternal snows, rises from the dense forests of Puget Sound to glass itself in those green waters.
夏になると,紫の円錐形富士が頂上付近に雪によるリボン状の白い縞模様を見せて一年中銀色に輝き,レーニア山だけが唯一のライバルとなり,万年雪の青白い山は,ピュージェット湾の濃い森からそびえ,緑の水面に影を落としています。
ハリスがヒマヤラのダウラギリと,イザベラ・バードもトリスタン・ダク―ニャ山と比較したように,エリザも富士山をレーニア山と比べています。こちらがシアトルから見たレーニア山(タコマ富士)。
他にも富士山についての記述はたくさん見つかるのですが,エリザ・シドモアについて特筆すべきは,彼女は富士山に登っているのです!
エリザの富士登山について,詳細は本を読んでいただくとして,概略だけ書きます。
・7月の第3週目に話し合い,男性4名,女性3名,日本人ボーイ2人,総勢9名が参加。
・蒸気機関車で相模湾の海岸沿いを走り,国府津で遊覧四輪馬車に乗り換え。
・人力車に乗り換え,狭い谷あいを登る。
・宮ノ下泊。寄木細工の仕上げの良さ,値段の安さに驚く。
・案内役兼ポーター(荷物運搬人)を雇い,乙女峠経由で御殿場に到着。
・人力車に乗り換え,須走(すばしり)を目指す。
・途中の休み所では,富士登山外国人部隊を見て婦人や子どもが目を丸くして驚く。
・須走の村人が街道に集まり,一行を歓迎してくれる。
・古びた神社へ導く鳥居があり,富士巡礼の全員が祈りを捧げる。
We rose with the sun at four o'clock, looked at Fuji, all pink and lilac in the exquisite atmosphere of the morning, snatched a hasty breakfast and set off, the women in their kagos and the men on mettlesome steeds that soon took them out of sight along the broad cindery avenue leading to the base of the slanting mountain. In that clear light Fuji looked twice its twelve thousand feet above the sea, and the thought of toiling on foot up the great slope was depressing.
午前4時,私たちは太陽とともに起床し,えもいわれぬ朝の大気の中で全山ピンクと薄紫になっている富士を仰ぎました。あわただしく朝食をとり,女性は駕籠に乗り,男性は乗馬で元気いっぱい出発すると,すぐに山麓からつながっている道で,燃殻を広く敷き詰めた並木道に連れ出されました。明るい光の中に海抜12,000フィートの富士が倍になって見え,その瞬間「この大斜面を苦労しても足を使って登るぞ」という気持ちが急に萎えてしまいました。
富士山の高さを目の当たりにして,圧倒されています。
この後,登山に備えて2日間の休養をとります。
彼女の記述によると,毎年3万人近くの巡礼が富士山に登る。ちなみに今年は20万4千人登ったようです。
聖地巡礼団の多くは農業従事者で年会費を収め,順番に負担してもらい旅に出る。
また,山の女神フジは同性を嫌い,女性を襲い空中に放り投げるので,日本婦人の登山を妨げている。
馬で登るのは,落馬の危険があるので許可されていない,とも書いています。
さあ,いよいよ登山開始・・・ですが,彼女については登山だけでなく長くなりそうなので,後半につづく。
この記事へのコメント
彼女の「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー」は購入していないのですが、彼女の人力車旅行や富士登山時のもろもろの事は聞いています。次回に続くとありますので、これ以上はネタバレになりそうなのでコメントを控えます(笑)
おはようございます。
後編は富士登山編が中心となります。この時代,女人禁制ではなかったのかという疑問にも触れました。
他にも,彼女にはいろいろな功績があってちょっと驚きです。