閑話休題 初めて富士山に登った西洋人は?

前々回,アメリカ人の著作家・写真家・地理学者のエリザ・ルアマー・シドモアが1880年代に富士山に登った話を書きました。

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でも,彼女は西洋人で初めて登った人でも初めての女性でもありません。

外国人(西洋人)として初めて富士山頂に立ったのはイギリス特命全権公使のラザフォード・オールコック(Sir John Rutherford Alcock)です。

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1860年(万延元年)7月19日,静岡側の登山口である村山口に到着。
この年3月,桜田門外の変が起こっていたため,公使館員ら9人に対し100人の護衛が付いたといいます。
これは現在の村山浅間神社

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村山口は現在の4つのルートのうち,富士宮ルートの入口の1つです。

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現在,富士宮五合目登山口にはオールコック富士登山記念碑が建てられています。

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オールコック一行は7月26日に頂上に立ち,測量を行い(結果的には違っていますが)標高を4322.6メートルと計算しました。
この測量については5日前の記事で少し触れました。

→ 幕末の外国人が見た富士山(6) ロバート・フォーチュン

3日前のエリザ・シドモアの記事の最後で「山の女神フジは同性を嫌い,女性を襲い空中に放り投げるので,日本婦人の登山を妨げている」とエリザの記述について書きました。明治に入っても女性の富士登山は限られていたようです。

外国人女性の富士山初登頂はイギリスのハリー・パーク夫人でいわゆる江戸時代最後の年(1867年)で大政奉還が行われています。
先述のオールコックの後任大使がハリー・パークス(Sir Harry Smith Parkes)。
イギリスの駐日大使はもみあげが大事なのかな・・・。

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ハリー・パークスは妻のファニー・ハンナ(Fanny Hanna)といっしょに富士山に登り,ファニーは富士山に登った最初の外国人女性になりました。

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では,1867年以前に富士山に登頂している女性はいないのかというと,そうではありません。

小谷三志(こだにさんし)は幕末期に富士講の一派「不二孝(不二道)」を庶民に広めました。

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富士講は江戸時代に成立した民衆信仰のひとつで,特に江戸を中心とした関東で流行しました。

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彼は「行よりも徳」を唱え,富士山での難行苦行に疑問を呈しました。生涯に161回の富士登山をしたといいます。

天保3年9月(1832年西洋暦11月)には,女性信徒の高山たつを連れ,男装をさせて女人禁制とされていた富士山登頂を成功させたそうです。

たつは江戸深川で辰年に生まれます。尾張徳川家の江戸屋敷で行儀見習いをした後に高山家に嫁ぎました。
ただ,高山たつという名前はできすぎているからか,異説を唱える人もいるようです。
(あるいは,素性を隠すための偽の経歴・名前なのでしょうか。)

富士登山が修行の妨げになるという理由から女人禁制となり,すべての人に開放されるのは1872年高山たつの登頂から40年後のことでした。



この記事へのコメント

2024年11月11日 06:44
おはようございます。

 「高山(こうざん)に立つ」か! 今気付きました。「高山たつ」さんの名はテレビで知ったのですが、テレビではその付合についてはふれていませんでしたねぇ…
2024年11月13日 05:56
あきあかねさん
おはようございます。
富士講文書(高山家所蔵)によると,「天保三壬辰年九月廿六日夜中宮こもり月あきらにおのすえに御のぼりおがみ奉り候……同行六人内女たつ辰二十五」と,小谷三志の直筆で記されている・・・そうです。
となると事実かもしれませんし,できすぎた名前から,何らかの嘘を用いているのかもしれません。まったく別名が正しく,誰かが「高山たつ」と書いたのがネット上で広まったと書いている人もいて,よくわかりませんが,間違いなく25歳の女性が登ったんだと思います。