明治の外国人が見た富士山(5) ラフカディオ・ハーン 後編

前回はラフカディオ・ハーンの「日本の面影」Grimpses of Unfamiliar Japan の冒頭「東洋の第1日」から,横浜で見た富士山について書きました。

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そして,ハーンで思い出す地名と言えば,小泉節子(セツ)と結婚し生活した島根県の松江があります。

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松江には旧宅が残され,また後に名乗る「小泉八雲記念館」もあります。

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その後は,熊本や神戸,そして東大の先生として東京生活が長くなりますが,実は「記念館」はもう1つあって,それは静岡県の「焼津小泉八雲記念館」です。

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なぜ,焼津なのか?

小泉八雲ことハーン家族が初めて焼津を訪れたのは1897(明治30)年8月4日。
水泳が得意であった八雲は,夏休みを海で過ごそうと,家族を連れてちょうどよい海岸を探していました。

そこで気に入ったのが,焼津の海。
これ以後,1899(明治32)年,1900(明治33)年,1901(明治34)年,1902(明治35)年,1904(明治37)年と,海岸通りの魚屋・山口乙吉の家の2階を借り,亡くなるまでほとんどの夏を焼津で過ごしたそうです。

これはハーンが描いた焼津。

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冒頭に紹介した角川文庫復刊版には「日本の面影」以外の掌編もいくつか収められています。
「霊の日本」In Ghostly Japan (1899年)では「焼津にて」 At Aidzu という章があります。

冒頭で焼津について説明していますが,その途中から。

Seaward, over leagues of water, there is a grand view, — a jagged blue range of peaks crowding sharply into the horizon, like prodigious amethysts, — and beyond them, to the left, the glorious spectre of Fuji, towering enormously above everything.

また海のほうは,幾マイルもの水面のかなたに雄大な眺めがあって,鋸の歯のような藍色の連峰が,非常に大きな紫水晶のように水平線にくっきりと寄りつどっているのが見え,その向こうの左手には,あたりの総てのものをぐっと抜いて,富士の壮麗な霊峰がそびえたっている。


これが焼津から見た富士山です。

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お気に入りの海と富士山。毎年のように訪れるのもわかります。
角川文庫復刻版には魚屋・乙吉さんも出てきます。

また,巻末の年表によると,初めて焼津を訪れた1897年には次男が誕生し,そして焼津の帰途に富士山に登ったとあります!

この記事へのコメント

2024年11月14日 07:03
おはようございます。

 Windowsの自動更新でこの時間になってしまいました(笑)
 ハーンと焼津の関係は初めてしrました。彼は絵も上手いのですね。小さくてタッチが分かり辛いのですが、木ペンか羽ペンぽいタッチで、私が好きな画風です。
2024年11月15日 06:04
あきあかねさん
おはようございます。
松江の記念館の館長さんは小泉凡さんで,ハーンのひ孫で彼は焼津小泉記念館の名誉館長でもあります。焼津のほうは入館無料で,「松江は遠いという方はぜひこちらへ」という低姿勢が気に入っています。ただ,なかなか静岡に行く機会はないなあ。松江もないけど。