沖縄について

過去2回,坂本龍一さんのアルバム「Beauty」から「ロマンス」および琉球音階について書いてきました。

Beauty - 坂本龍一, Ryuichi Sakamoto
Beauty - 坂本龍一, Ryuichi Sakamoto

そして,このアルバムには他にもオキナワチャンズの3人がコーラスと三線で参加している沖縄民謡が収録されています。

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「安里屋ユンタ」Asadoya Yunta は坂本さん自身がボーカルを担当しています。



「ちんさぐの花」Chinsagu No Hana のボーカルはオキナワチャンズ。
三線がとても印象的な曲です。



昔,私が日本チェス協会に所属し,仙台チェスクラブで学んでいたときに,ある小さな会館が会場でした。
よく,同じ時間に隣の部屋で三線教室が開かれていて,この「ちんさぐの花」の練習が永遠のように繰り返されていました。

この頃の坂本さんは沖縄民謡にとても興味を持っていたのでしょう。

沖縄民謡や沖縄風の曲は私も好きで,音楽プレイヤーに入っている曲を見てみると,上記の3曲以外に・・・
「島唄」 The Boom
「花」 喜納昌吉&チャンプルーズ
「ハイサイおじさん」 喜納昌吉&チャンプルーズ
「ナチカサヌ恋歌」 Southern All Stars
「涙そうそう」 夏川りみ
「さとうきび畑」 森山良子


「さとうきび畑」は太平洋戦争を歌った曲で,主人公の父親は鉄の雨に打たれ戦死します。
私の祖父も沖縄で戦死しました。

でも,よくそのことを知りません。
もう他界した祖母はよく沖縄旅行に出かけ,宮城県の慰霊碑で夫の名前を撫でてくるのが恒例でした。

私もいつか沖縄に行って祖父の名前を見つけて撫でるのが自分に課した指令です。
なので,宮城県の慰霊碑の画像検索などあえてしていません。

この11月に親戚一同が会する機会がありました。
その席で,私は祖父の最後の状況を知ったのでした・・・。

唯一の本土決戦の沖縄戦。
祖父は足を負傷し,もう動けなかったそうです。

福島出身の方と親しくなり,彼が連れていこうとしたそうです。
でも祖父は「俺はいいから逃げてくれ」と言って,その方は泣く泣く逃げたそうです。

戦後,復員した福島出身のその方は,わざわざ宮城県の私の実家まで来てくれて,最後の状況を家族に伝えてくれたそうです。
そんなことこれまで知らなかった。でも知ることができてよかった。

どうも,私は沖縄にはレジャー感覚では行けないかもしれない。
でも,今回の件で,いっそう慰霊碑参りをしなければと強く思いました。

いつ行くか。退職して心に余裕ができたらか・・・。



この記事へのコメント

2024年11月21日 07:06
おはようございます。

 「てぃんさぐぬ花」は自然に涙が流れてきます。やはり、今は亡き両親や祖母を思い出してしまうからでしょうね。
 先生のおじい様のお話、強く心に沁みました。いつか、慰霊碑参りが出来たらよいですね。

 今我々が普段聞く「てぃんさぐぬ花」や「安里屋ユンタ」は、戦後に西洋音楽化されて広まったものです。原曲はもっと”重い”唄です。
 日本の民謡(フォークロア)は、明治に入って採譜され、西洋音楽化されます。その採譜された民謡は昭和初頭から昭和30年代にかけての「新民謡」を生む元になりました。
 結果、日本本土には昔から伝わる民謡(「古民謡」とか「古謡」言われます)はほとんど残っていないようになりました。でも、沖縄(八重山や宮古島、与那国)ではそうした古謡が連綿と残っており、音楽家や民俗学者を喜ばせます。
 今回も、そんな連綿と伝わる琉球古謡の参考の動画を下に挙げておきます。ちょっと長いので、お時間のある時にでも見てください。
「夏川りみ 『安里屋ユンタ』 沖縄 八重山 竹富島」
https://www.youtube.com/watch?v=qf2So5LL6ow&t=1338s
2024年11月22日 05:53
あきあかねさん
おはようございます。
動画によると「安里屋ユンタ」は23番まであるんですね。また,歌詞も日本語(?)っぽくなったものとはちょっと違います。あきあかねさんおっしゃっていた「西洋音楽化」「新民謡」という言葉がやっと理解ができた感じです。