「ホーム」考(5) 青空文庫に見る,駅の「ホーム」
前回,シリーズの(4)と(5)をつなぐ記事として,石川啄木が「プラットフォーム」を「フォーム」と略している例を見ました。同じような例を1940年代にも見つけることができます。
谷崎潤一郎「細雪」(初出1943年)
上巻の「七」にこのような文章があります。
いつも音楽会と云えば着飾って行くのに、分けても今日は個人の邸宅に招待されて行くのであるから、精一杯めかしていたことは云うまでもないが、折柄の快晴の秋の日に、その三人が揃って自動車からこぼれ出て阪急のフォームを駈け上るところを、居合す人々は皆振り返って眼を欹(そばだ)てた。

豊島与志雄「悲しい誤解」(初出1949年「女性改造」)
駅のフォームに駆け上ると、急に酔いがぶり返して、ふらふらした。電車の時刻までにはまだだいぶ間があった。フォームの先端まで行き、屈みこんで息をついた。

「ダイヤモンド」が「ダイヤ」,「ブランケット」が「ケット」のように外来語の省略は日本語にとっては自然な印象を受けます。
さて,今日のメインは啄木も使っている「プラットホーム」が省略され,「ホーム」になった例で,これは今でももっとも使われている表現です。
1940年には使われていた例が見つかります。「フォーム」も「ホーム」も同居している時代です。
小川未明「夕焼けが薄れて」(1940年「夜の進軍喇叭」より)
ゴウ、ゴウ、と、ひびきをたて、電車がホームへ入はいると、まもなく、どやどやと階段を降りて、人々が先を争そって、改札口から外へ出てきました。中には、大人にまじって、達夫ぐらいの少年もありました。

宮本百合子「三月の第四日曜」(1940年「日本評論」より)
速力をおとしてホームに辷りこんで来た列車の、ずっと後方の一つの窓から、日の丸の紙旗の出ているのが見えた。

太宰治「待つ」(1942年)
上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。

シリーズ(4)で見たように,太宰はこの後に「プラットホーム」も使っています。
林芙美子「崩浪亭主人」(1947年「小説新潮」)
砂風の吹く、うそ寒い日である。ホームを驛員が水を撒いてゐる。硝子のない、待合室の外側の壁に凭(もた)れて、磯部隆吉はぼんやりと電車や汽車の出入りを眺めてゐた。

片山廣子「燃える電車」(1953年)
昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、(以下略)

また,昭和のヒット曲で「ホーム」と言えば,かぐや姫やイルカが歌った・・・
「なごり雪」(1974年 伊勢正三作詞・作曲)
♪
君が去った ホームに残り
落ちてはとける 雪を見ていた
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現在は「ホーム」がもっとも一般的な使い方です。そろそろまとめに入らないと。おそらくあと2回かな。
谷崎潤一郎「細雪」(初出1943年)
上巻の「七」にこのような文章があります。
いつも音楽会と云えば着飾って行くのに、分けても今日は個人の邸宅に招待されて行くのであるから、精一杯めかしていたことは云うまでもないが、折柄の快晴の秋の日に、その三人が揃って自動車からこぼれ出て阪急のフォームを駈け上るところを、居合す人々は皆振り返って眼を欹(そばだ)てた。

豊島与志雄「悲しい誤解」(初出1949年「女性改造」)
駅のフォームに駆け上ると、急に酔いがぶり返して、ふらふらした。電車の時刻までにはまだだいぶ間があった。フォームの先端まで行き、屈みこんで息をついた。

「ダイヤモンド」が「ダイヤ」,「ブランケット」が「ケット」のように外来語の省略は日本語にとっては自然な印象を受けます。
さて,今日のメインは啄木も使っている「プラットホーム」が省略され,「ホーム」になった例で,これは今でももっとも使われている表現です。
1940年には使われていた例が見つかります。「フォーム」も「ホーム」も同居している時代です。
小川未明「夕焼けが薄れて」(1940年「夜の進軍喇叭」より)
ゴウ、ゴウ、と、ひびきをたて、電車がホームへ入はいると、まもなく、どやどやと階段を降りて、人々が先を争そって、改札口から外へ出てきました。中には、大人にまじって、達夫ぐらいの少年もありました。
宮本百合子「三月の第四日曜」(1940年「日本評論」より)
速力をおとしてホームに辷りこんで来た列車の、ずっと後方の一つの窓から、日の丸の紙旗の出ているのが見えた。

太宰治「待つ」(1942年)
上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。

シリーズ(4)で見たように,太宰はこの後に「プラットホーム」も使っています。
林芙美子「崩浪亭主人」(1947年「小説新潮」)
砂風の吹く、うそ寒い日である。ホームを驛員が水を撒いてゐる。硝子のない、待合室の外側の壁に凭(もた)れて、磯部隆吉はぼんやりと電車や汽車の出入りを眺めてゐた。

片山廣子「燃える電車」(1953年)
昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、(以下略)

また,昭和のヒット曲で「ホーム」と言えば,かぐや姫やイルカが歌った・・・
「なごり雪」(1974年 伊勢正三作詞・作曲)
♪
君が去った ホームに残り
落ちてはとける 雪を見ていた
![なごり雪[EPレコード 7inch] - イルカ](https://m.media-amazon.com/images/I/41snaQZeQCL._SL160_.jpg)
なごり雪[EPレコード 7inch] - イルカ
現在は「ホーム」がもっとも一般的な使い方です。そろそろまとめに入らないと。おそらくあと2回かな。
この記事へのコメント
はいはい、私もやっぱり「なごり雪」ですね(⌒∇⌒)
外国の方々と日本人が一緒に話している動画などを見て気付くのですが、日本語の外来語の省略って大胆ですよね。「マクド」とか、「アニメ」とか…、脈絡なくぶった切ってる感があります。
おはようございます。
外来語の略語は「エレキ」「アルミ」「アスパラ」など前の部分をとることが多いのですが,後ろの部分をとるのはけっこう少ないようで,次の記事でちょっと触れました。おもしろいのは「ビフテキ」で「ビーフステーキ」がどうしてこうなってしまうのか。まあ今は「ビフテキ」と言う人はあまりいませんし,「ステーキ」と言えばまあ「ビーフ」のことです。