「ホーム」考(6) 「プラットホーム」「ホーム」混在の例
前回,「プラットフォーム」を「フォーム」と略してる例,そして「プラットホーム」を「ホーム」と略した例を見ました。1940年代には「フォーム」も「ホーム」も見られるのがおもしろい現象です。現在では「フォーム」という言い方はまず聞きません。
「ハンカチ」「ビル」「アプリ」「コンビニ」のように外来語の上の部分が残る略語は多いのですが,この「フォーム」「ホーム」は下の部分が残る珍しい略語と言えるでしょう。
前回は「ブランケット」→「ケット」を挙げましたが,他には「フランネル」→「ネル」とか「ヘルメット」→「メット」などで,あまり思いつきません。
今回は,最終回へのつなぎとして「プラットホーム」と「ホーム」が混在している例を見てみます。
原民喜「飯田橋駅」(1935年 短編集「焔」より)
飯田橋のプラットホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう。省線電車がお腹を摩りつけて其処に停まると、なかから三人の青年紳士が現れた。彼等は一様に肩の怒ったオーバーを着て三人が三人ステッキを持って、あの長いコンクリートの廊下を神楽坂方面の出口へと歩いて行く。ガランコロンとステッキが鳴る、歩調が揃ひ過ぎてる、身長がほぼ同じだ、ロボットのやうに揃ひ過ぎてる。何しろ今夜は正月元旦の晩だ。
(中略)
と、ここでもまた正月らしい風景が待構へてゐた。今、ホームには電気ブランで足をとられた中年の紳士が二人、これはぜんまいの狂ったロボットのやうにガクリガクリと今にも線路へ堕こちさうである。

原民喜と言えば原爆文学という印象が強いのですが,大学進学後はしばらく東京で生活していたんですね。
飯田橋駅はこの文章のように,かつては湾曲したホームでした。

でも転落事故が絶えないことから,現在は直接区間に移設されているそうです。
ちなみに,文章中の「電気ブラン」とは浅草のバーで出しているお酒で太宰治の小説「人間失格」にも出てきますし,私も一度飲んだ記憶があります。

織田作之助「郷愁」(1946年「真日本」より)
夜の八時を過ぎると駅員が帰ってしまうので、改札口は真っ暗だ。
大阪行のプラットホームにぽつんと一つ裸電燈を残したほか、すっかり灯を消してしまっている。いつもは点っている筈の向い側のホームの灯りも、なぜか消えていた。

坂口安吾「教祖の文学 ――小林秀雄論――」(1947年「新潮」より)
去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かったという話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなったものだ。
(中略)
山間の小駅はさすがに人間の乗ったり降りたりしないところだと思って私は感心したが、第一、駅員もいやしない。人ッ子一人いない。これは又徹底的にカンサンな駅があるもので、人間が乗ったり降りたりしないものだから、ホームの幅が何尺もありやしない。背中にすぐ貨物列車がある。そのうちに小林の乗った汽車が通りすぎてしまうと、汽車のなくなった向う側に、私よりも一段高いホンモノのプラットホームが現われた。人間だってたくさんウロウロしていらあ。あのときは呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。

今回は「プラットホーム」と「ホーム」が混在している1930~1940年代の文章を見ました。
次回は最終回の予定です。
「ハンカチ」「ビル」「アプリ」「コンビニ」のように外来語の上の部分が残る略語は多いのですが,この「フォーム」「ホーム」は下の部分が残る珍しい略語と言えるでしょう。
前回は「ブランケット」→「ケット」を挙げましたが,他には「フランネル」→「ネル」とか「ヘルメット」→「メット」などで,あまり思いつきません。
今回は,最終回へのつなぎとして「プラットホーム」と「ホーム」が混在している例を見てみます。
原民喜「飯田橋駅」(1935年 短編集「焔」より)
飯田橋のプラットホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう。省線電車がお腹を摩りつけて其処に停まると、なかから三人の青年紳士が現れた。彼等は一様に肩の怒ったオーバーを着て三人が三人ステッキを持って、あの長いコンクリートの廊下を神楽坂方面の出口へと歩いて行く。ガランコロンとステッキが鳴る、歩調が揃ひ過ぎてる、身長がほぼ同じだ、ロボットのやうに揃ひ過ぎてる。何しろ今夜は正月元旦の晩だ。
(中略)
と、ここでもまた正月らしい風景が待構へてゐた。今、ホームには電気ブランで足をとられた中年の紳士が二人、これはぜんまいの狂ったロボットのやうにガクリガクリと今にも線路へ堕こちさうである。

原民喜と言えば原爆文学という印象が強いのですが,大学進学後はしばらく東京で生活していたんですね。
飯田橋駅はこの文章のように,かつては湾曲したホームでした。

でも転落事故が絶えないことから,現在は直接区間に移設されているそうです。
ちなみに,文章中の「電気ブラン」とは浅草のバーで出しているお酒で太宰治の小説「人間失格」にも出てきますし,私も一度飲んだ記憶があります。

織田作之助「郷愁」(1946年「真日本」より)
夜の八時を過ぎると駅員が帰ってしまうので、改札口は真っ暗だ。
大阪行のプラットホームにぽつんと一つ裸電燈を残したほか、すっかり灯を消してしまっている。いつもは点っている筈の向い側のホームの灯りも、なぜか消えていた。

坂口安吾「教祖の文学 ――小林秀雄論――」(1947年「新潮」より)
去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かったという話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなったものだ。
(中略)
山間の小駅はさすがに人間の乗ったり降りたりしないところだと思って私は感心したが、第一、駅員もいやしない。人ッ子一人いない。これは又徹底的にカンサンな駅があるもので、人間が乗ったり降りたりしないものだから、ホームの幅が何尺もありやしない。背中にすぐ貨物列車がある。そのうちに小林の乗った汽車が通りすぎてしまうと、汽車のなくなった向う側に、私よりも一段高いホンモノのプラットホームが現われた。人間だってたくさんウロウロしていらあ。あのときは呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。

今回は「プラットホーム」と「ホーム」が混在している1930~1940年代の文章を見ました。
次回は最終回の予定です。
この記事へのコメント
「ホーム」よりも「プラットホーム」の方が外来語っぽさが出てオシャレだったのかもしれませんね。
飯田橋駅の湾曲ホームは記憶に在ります。飯田橋駅に降りた事は2,3度しかないのですが、中央線はしょっちゅう使っていました。
今回例に引かれた小説の文章は、現代に若い方々にはもう”古文”の部類に入るのかもしれませんね。先生も注を入れてらっしゃいましたが、「電気ブラン」なんていうのは大正・昭和の産物です。もっとも、今でも作ってくれるバーも有るようですし、その名のボトルも複数のメーカーから出ていますね。
「省電(しょうでん)」等は、もう分かる方は少なくなっているでしょうねぇ…、「国電」の前ですから。鉄道が「日本国有鉄道(国鉄)」になる前、「運輸省」の所管であった頃の呼び名です。「国鉄」に替わったのが昭和24年でした。で、それ以前ですが、「運輸省」の前が「運輸通信省」、さらにその前は「鉄道省」で、この時代が「省電」や「省線」と呼んでいた時代です。それ以前、明治41年頃は「鉄道院」でしたので、「院線・院電」と呼ばれていたようです。さらにそれ以前、鉄道の創成期はもっと複雑です。内閣府や大蔵省が所管だった時もあります。
おはようございます。
飯田橋駅には降りたことはないと思いますが,湾曲してるホームは隙間ができて危険なんですね。転落事故が後を絶たないならこれはホームを変えるしかありません。
「省電」「院電」は初めて聞きましたし,変換もしてくれません(笑)。そう言えば国電が終わったとき「E電」となりましたが,しばらくは都内の駅の表示でも見かけました。今はどうなっているのでしょう? 見聞きしません。
このシリーズ,やっとまとめることができました。