「ホーム」考(4.5) 石川啄木に見る「プラットフォーム」
これまで青空文庫から小説に使われている「プラットフォーム」と「プラットホーム」の例を見てきました。
次は「ホーム」の例を見ようと思ったのですが,その前に石川啄木の文章でおもしろいものを見つけたので,そのことを書きます。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
啄木は「一握の砂」(1910年)で駅(停車場)についてこう書いています。有名な歌ですし,もうちょっと啄木を調べるべきでした。

石川啄木「鳥影」(初出1908年「東京毎日新聞」)
この文章は明治41年に発表されており,夏目漱石の「坊っちゃん」の2年後になります。
第1章(其一)にこんな文章があります。
午前十一時何分かに着く筈の下り列車が、定刻を三十分も過ぎてるのに、未だ着かない。姉妹を初め、三四人の乘客が皆もうプラットフォームに出てゐて、はるか南の方の森の上に煙の見えるのを、今か今かと待つてゐる。
(中略)
『來た、來た。』と、背の低い驛夫が叫んだので、フォームは俄かに色めいた。も一人の髯面の驛夫は、中に人のゐない改札口へ行つて、『來ましたよウ。』と怒鳴つた。濃い煙が、眩しい野末の青葉の上に見える。
なんと,啄木は1908年の段階で「プラットフォーム」を「フォーム」と略して書いているのです。
となると,もうこの時点で省略した「フォーム」が使われていた,または通じることがわかります。
そして,第6章(其六)に驚く文章を見つけました!
『向側からお乘りなさい。』
と教へ乍ら背の低い驛夫が鋏を入れる。チラと其時、向側のプラットホームに葡萄茶(えびちや)の袴を穿いた若い女の立つてゐるのが目についた。それは日向智惠子であつた。
なんと,同じ文章の中に「プラットフォーム」「フォーム」「プラットホーム」が混在しているのです。
ということは,1910年には「プラットホーム」と呼ぶ人がいたのでしょう。
この現象は前回書いた通りです。
「ホーム」という省略はまだないようです。
「家」を表す home との混同もあるでしょう。
今回の発見はちょっとしたことですが,もうこういうことに触れている学者さんもいることでしょう。
次回こそ「ホーム」の使用例に入りたいと思います。
次は「ホーム」の例を見ようと思ったのですが,その前に石川啄木の文章でおもしろいものを見つけたので,そのことを書きます。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
啄木は「一握の砂」(1910年)で駅(停車場)についてこう書いています。有名な歌ですし,もうちょっと啄木を調べるべきでした。

石川啄木「鳥影」(初出1908年「東京毎日新聞」)
この文章は明治41年に発表されており,夏目漱石の「坊っちゃん」の2年後になります。
第1章(其一)にこんな文章があります。
午前十一時何分かに着く筈の下り列車が、定刻を三十分も過ぎてるのに、未だ着かない。姉妹を初め、三四人の乘客が皆もうプラットフォームに出てゐて、はるか南の方の森の上に煙の見えるのを、今か今かと待つてゐる。
(中略)
『來た、來た。』と、背の低い驛夫が叫んだので、フォームは俄かに色めいた。も一人の髯面の驛夫は、中に人のゐない改札口へ行つて、『來ましたよウ。』と怒鳴つた。濃い煙が、眩しい野末の青葉の上に見える。
なんと,啄木は1908年の段階で「プラットフォーム」を「フォーム」と略して書いているのです。
となると,もうこの時点で省略した「フォーム」が使われていた,または通じることがわかります。
そして,第6章(其六)に驚く文章を見つけました!
『向側からお乘りなさい。』
と教へ乍ら背の低い驛夫が鋏を入れる。チラと其時、向側のプラットホームに葡萄茶(えびちや)の袴を穿いた若い女の立つてゐるのが目についた。それは日向智惠子であつた。
なんと,同じ文章の中に「プラットフォーム」「フォーム」「プラットホーム」が混在しているのです。
ということは,1910年には「プラットホーム」と呼ぶ人がいたのでしょう。
この現象は前回書いた通りです。
「ホーム」という省略はまだないようです。
「家」を表す home との混同もあるでしょう。
今回の発見はちょっとしたことですが,もうこういうことに触れている学者さんもいることでしょう。
次回こそ「ホーム」の使用例に入りたいと思います。
この記事へのコメント
謎解き、面白くなってきましたね。(^▽^)/
『「家」を表す home との混同もあるでしょう』と、先生はお書きになってらっしゃいましたが、私はどうかな、と思います。明治末ぐらいではまだ英語の「ホーム」という言葉は一般化していないと思います。使われている例が少ないですし、代わりの日本語も沢山あります。「ホーム」という単語が一般化するのは、欧米の事情が映画や新聞・雑誌で多く紹介される戦前、戦中くらい(1910~30年代)からではないのかなあ、と思います。
「フォ」の表記を「ホ」に換えたのは、やはり日本語らしくない発音である事と、日本語において「ハ」行の発音の幅が広く、不安定であるからではないかと愚考します。
母語が中国語の方や米語(東海岸)の日本語学習者たちが同じような事を言っていたのですけど…
日本語らしい発音に近づけるのには、口を大きく開けない事、口を大きく動かさない事が大事、だそうです。
このやり方で「ハ行」を発音すると、「は」と発音しても「h」音はほとんど聞こえず、母音の「a」が強くなりますね。ましてや「fa」や「pha」の発音は出来なくなります。この辺が日本語の”弱点”なんじゃないでしょうかね。
もうひとつありまして、
よく津軽は寒いところだから、口をあまり開けずに話すのであのような分かりにくい発音になるのだ、とか言われるのですが、口をあまり開けずに話すのは寒い地方だけではないのです。琉球地方の方言各種でも似たような傾向が在ります。
で、私が思っているのは、島嶼部とか、山間の狭いコミュニティーの方言は、話す相手が限られてくるために発音のエッヂが丸くなってくる、つまり、”馴れ合い”で発音の省略やリンケージが強くなってゆくのではないか、という事なのです。これって、日本語の方言に限らず、英語の方言でもよく見られますよね。
そして、これが端的に表れるのが日本語の「ハ行」音であるように思えます。
おはようございます。
確かに明治期には家を表す「ホーム」は一般的ではないかもしrませんね。
福澤諭吉に「すなわち人間の家(ホーム)を成すものにして,これを私徳の美という」文章があるようですが,諭吉ならではかもしれません。また「老人ホーム」という表現に代表されるような「ホーム」もあり,これは別の進化形なのでしょう。
ハ行の説明ありがとうございました。フランス人がHを発音しなかったり,江戸っ子がヒとシの区別ができなかったり,まあ東北人も「火にあたれ」を「シにあたれ」と言ったり,このあたりは研究すればおもしろいのでしょう。もちろんいろんな分析が行われていることでしょうが。