「がぜん」考(4) 青空文庫から・前編

前回,「がぜん」(俄然)が本来の「急に,突然」の意味ではなく,昭和の初期に強調の意味で使うことが流行したという話を書きました。
「なみはずれて」「ずばぬけて」の意味で使われ始め,それが今につながっているようなのです。

では,青空文庫で見てみましょう。今回は昭和以前の文章から。

「外科室」 泉鏡花
「あ」と深刻なる声を絞りて、二十日以来寝返りさえもえせずと聞きたる、夫人は俄然器械のごとく、その半身を跳ね起きつつ、刀(とう)取れる高峰が右手(めて)の腕(かいな)に両手をしかと取り縋(すが)りぬ。
(1895年)


「虞美人草」 夏目漱石
「じゃ、こんな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖を、さっと捌(さば)いて、小野さんの鼻の先に翻えす。小野さんの眉間の奥で、急にクレオパトラの臭(におい)がぷんとした。
「え?」と小野さんは俄然として我に帰る。

(1907年)


夏目漱石(小).jpg

さすが両文豪らしい文章です。
どちらも「急に」のような意味で使っています。

おもしろいのは,漱石は2文続きの文で「急に」と「俄然として」を使い分けています

大正時代の文から1つ。

「ナポレオンと田虫」 横光利一
こうして森厳な伝統の娘、ハプスブルグのルイザを妻としたコルシカ島の平民ナポレオンは、一度ヨーロッパ最高の君主となって納まると、今まで彼の幸福を支えて来た彼自身の恵まれた英気は、俄然として虚栄心に変って来た。このときから、彼のさしもの天賦の幸運は揺れ始めた。
(「文藝時代」1926(大正15年)1月)


横光利一.JPG

ナポレオンの天賦の英気が「急に」虚栄心に変わったんですね。

次回は昭和に入った横光利一の文章から「がぜん」を見ていきます。


この記事へのコメント

2025年03月08日 06:40
おはようございます。

 泉鏡花あたりは、現在はもう古文に含めているのでしょうが、どうなのでしょう、横光利一の文章を、今の若い方々は理解できるのでしょうか? それとも、夏目漱石あたりが分岐点になるのかなあ?
 ちなみに、来年は「昭和百年」になります。
2025年03月09日 06:16
あきあかねさん
おはようございます。
日本語は英語に比べて変化の少ない言語なのかなあ。源氏物語を今読んでもある程度理解できるのはすごいなあと思います。松尾芭蕉あたりならかなり理解できる。旧仮名を昭和の前半まで使っていたのですから,戦後の現代仮名遣いは日本語の大きな変化なのでしょうね。それに外来語の多用,今は大きな変化のときで今後はどんなことが起きるのでしょう。