「かぜん」考(5) 青空文庫から・後編

前回は横光利一が大正時代に書いた文章から「がぜん」の意味を見てみましたが,今日は昭和に入った文章から。

横光利一.JPG

「美しい家」 横光利一
だが、秋が深くなると、薔薇が散つた。菊が枯れた。さうして、枯葉の積つた間から、漸く淋しげな山茶花がのぞき出すと、北に連なつた一連の暗い壁が、俄然として勢力をもたげ出した。私はかぜを引き続つゞけた。母が、「アツ」といつたまゝ死しんでしまつた。すると、妻が母に代つて床についた。
(初出:「東京日日新聞」1927(昭和2)年1月17日発行)


秋が深まり,「俄然として・・・しだした」ですから「急に」の意味で,昭和初期に流行ったという強調表現ではないようです。

では,その他の作家の文章を見てみましょう。

「音楽と世態」 中原中也
しかしともかく、それらの音楽によつて多くの人々が、好い気持にされてゐるのだから文句はないのだが、然しもともと気分の暈縁なぞといふオボコイものを聴いて喜んでゐる連中が取引のこととなると俄然骨ばつてくるし、而も楽々骨ばれるやうに前以て備へてゐるので、「音楽と世態」なぞと今並べてみたくなるのである。
(初出:「フィルハーモニー」1930(昭和5)年6月号)


中原中也3.jpg

「石塀幽霊」 大阪圭吉
秋森家の家族が怪しい。
警官達は俄然色めき立った。司法主任は、蜂須賀巡査を足跡の監視に残すと、母屋の縁先へ本部を移して、雄太郎君、郵便屋、戸川差配人の三人立会の下に、いよいよ秋森家の家族の調査にとりかかった。

(初出:「新青年」1935(昭和10)年7月号)



「あの世から便りをする話」 海野十三
しかもそんなインチキな霊媒の所に、吾々が科学的に非常に信用していた友達が、前後六十回も通ってインチキたることが判らなかったのは何故であるかというので、俄然私は大なる疑問に打突(ぶつか)ったんです。
(初出:「新青年」1935(昭和10)年7月号)



「気の毒な奥様」 岡本かの子
恋人を連れた男の方、あなたの本当の奥様が迎えにいらっしゃいました。お子様が急病だそうです、至急正面玄関へ。
俄然として座席は大騒ぎになりました。あちらからも、こちらからも立派な紳士が立ち上って正面玄関へ殺到しました。

(初出:「キング」1935(昭和10)年8月号)



「愛と美について」 太宰治
末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然かわった。兄たち、姉たちには、それが可笑(おかし)くてならない。けれども末弟は、大まじめである。
(初出:「愛と美について」竹村書房 1939(昭和14)年5月)


太宰治1.jpg


昭和初期の流行と言う「がぜん」を強調の意味で使う例が見られるかなあ,と思ったのですが,さすがに文士諸氏の方々の文章に見つけることはできませんでした。

期待させてすみません。




この記事へのコメント

2025年03月08日 06:54
おはようございます。

 わたし、期待したのですけどwww

 しかし、こうやって並べてみますと、皆さん個性あふれる文体ですね。
2025年03月09日 06:19
あきあかねさん
おはようございます。なかなか小説家など文章を生業にしている人の文では難しかなあとは思ったのですが,期待させてすみません(笑)。
でも,ちょっとあいまいなのは次回に載せました。