「募金」を青空文庫で見てみる
前回,「募金」は本来「お金を募る」側の言葉なのに,いつの間にか「募金をする」のように,応じる側の言葉に転じていることを書きました。
本来の「募金をする」。

誤用が転じて,応じる側の「募金をする」。

三省堂国語辞典(第八版)では「1960年代から例がある用法」とあります。
また,岩波国語辞典(第七版)では「1980年ごろ学校から広まった誤用で,現在かなり多用。教師が言った『募金のお金を持って来なさい』などを寄付の金銭と誤解したせいか」と学校現場がこの誤用の起源ではないかとしています。
確かに,自分が生徒だったとき,あるいはひと昔前は学校に依頼される募金が多かったような気がします。
「○○羽根募金」とか「○○シール」など,自分が中学生だったときは「ひとり10円以上です」なんて言われた記憶があります。
まあ,団体によっては学校現場に還元されるものもあったようですが,あれは何だったのでしょう?
教師も「募金は10円以上です」なんて言ったら,生徒も募金を「払う側の行為」と誤解してしまいますよね。

では,1960年代や1980年代より前はそのような用法は見られなかったのでしょうか・・・。
例によって青空文庫を見てみましょう。
「千人針」 寺田寅彦
去年の暮から春へかけて、欠食児童のための女学生募金や、メガフォン入りの男学生の出征兵士や軍馬のための募金が流行したが、これらはいつの間にか下火になった。
(1932年・昭和七年 四月『セルパン』)

「女学生が行う募金」「出征兵士のための募金」と本来の意味で使われています。
「復員殺人事件」 坂口安吾
しかれども、いったん募金の額の多大なることを知るや、露骨に多額の報酬を要求してやまず。次第に増長し、ついには募金の大半の独占を主張してゆずらざるに至れり。
(1949年~1950年・昭和24年~25年 「座談」連載)

ここでは「集めたお金」の額について書いてあり,本来の意味です。
「鎖国 日本の悲劇」 和辻哲郎
こういう情勢の下に山口の信者たちは、一五五四年の末には、貧民施食を毎月三四回行い、貧民の家の建築を企てて募金をはじめた。信者の数はほぼ二千に達していた。トルレスの宣教師館も著しく腐朽して来たので、新らしい建築が企てられた。半年余りの後、一五五五年七月半ばには、幅九間余、長さ六間半の新会堂が完成し、ミサが行われた。その秋にはシルヴァが豊後に移り、フェルナンデスが山口に帰って来たらしい。
(1950年・昭和25年 5月)
鎖国中のキリスト教信者が募金を始めた,という本来の意味です。
ここからは,昭和と平成の文章です。
「秋風と彼女の足もと」 片岡義男
(略)そう、あれは昭和の二十二年のこと」
「私が生まれる二年前ですね」
「そう、新憲法の年。キャサリン台風。共同募金。鐘の鳴る丘。知ってる?」
「いいえ」
(1976年・昭和51年)
「共同募金」で1つの固有名詞。主催者側がつけた名前です。
「脳細胞日記」 太田健一
四谷に着いたとき隼人はかなり躊躇したが、結局降りずに新宿まで行くことにした。新宿に着くと東口の改札口を通り抜けてマイシティーの本屋で少し立ち読みした後、ビルの外に出た。左側の線路沿いの壁には多くの大看板が並んで架けてあり、封切り間近の映画を宣伝している。(中略)その下の広場には『カンボジア難民救済募金』と書かれた募金箱を首からかけた浅黒い肌の少女が、誰からも注意を引かれることなくひっそりと佇んでいる。日曜ほどではないが人通りは思っていたより多かった。
(1989年・平成元年 6月)
これも本来の意味ですね。「救済のために募るお金」,そのための「募金箱」。
残念ながら,お金を出す側の「募金」は青空文庫からは見つかりませんでした。
まあ,青空文庫は著作権の切れた作品のみなのでやむを得ません。
最後に「募金」に似た言葉で「寄付」があります。
どう違うのか,あるサイトがこんな説明をしています。
*******************
募金について調べていると「そもそも募金と寄付は何が違うの?」と疑問を持つ方も多いです。募金と寄付には、読み方以外に一体どのような違いがあるのでしょうか?
募金は「金銭を募って集めること」です。つまり、寄付を集める側の行為を指します。
対して寄付は「金銭または物品を贈ること」ですので、寄付をする側の行為を指します。つまり、寄付と募金はその行為を行う立ち位置が異なります。
昨今では団体や自治体などへ金銭を贈るときに「〇〇へ募金した」と使われるケースも多いですが、厳密には「〇〇へ寄付した」が正解です。寄付や募金される際は、こうした意味の違いもしっかり理解しておくことが大切です。
*******************
英語だと,次の言い方が考えられます。
raise
to collect money that you can use to do a particular job or help people
特定の仕事をしたり人々を助けるために使うことができるお金を集めること
例
a concert to raise money for charity
(慈善義援金コンサート)
donate
to give something, especially money, to a person or an organization in order to help them
ある人物や組織を助けるために物,特にお金を与えること
例文
Last year he donated $1,000 to cancer research.
(去年彼はがん研究のために千ドル寄付した。)
厳密には支払う側の「募金した」は「寄付した」が正しく,誤解がないようです。
本来の「募金をする」。

誤用が転じて,応じる側の「募金をする」。

三省堂国語辞典(第八版)では「1960年代から例がある用法」とあります。
また,岩波国語辞典(第七版)では「1980年ごろ学校から広まった誤用で,現在かなり多用。教師が言った『募金のお金を持って来なさい』などを寄付の金銭と誤解したせいか」と学校現場がこの誤用の起源ではないかとしています。
確かに,自分が生徒だったとき,あるいはひと昔前は学校に依頼される募金が多かったような気がします。
「○○羽根募金」とか「○○シール」など,自分が中学生だったときは「ひとり10円以上です」なんて言われた記憶があります。
まあ,団体によっては学校現場に還元されるものもあったようですが,あれは何だったのでしょう?
教師も「募金は10円以上です」なんて言ったら,生徒も募金を「払う側の行為」と誤解してしまいますよね。

では,1960年代や1980年代より前はそのような用法は見られなかったのでしょうか・・・。
例によって青空文庫を見てみましょう。
「千人針」 寺田寅彦
去年の暮から春へかけて、欠食児童のための女学生募金や、メガフォン入りの男学生の出征兵士や軍馬のための募金が流行したが、これらはいつの間にか下火になった。
(1932年・昭和七年 四月『セルパン』)

「女学生が行う募金」「出征兵士のための募金」と本来の意味で使われています。
「復員殺人事件」 坂口安吾
しかれども、いったん募金の額の多大なることを知るや、露骨に多額の報酬を要求してやまず。次第に増長し、ついには募金の大半の独占を主張してゆずらざるに至れり。
(1949年~1950年・昭和24年~25年 「座談」連載)

ここでは「集めたお金」の額について書いてあり,本来の意味です。
「鎖国 日本の悲劇」 和辻哲郎
こういう情勢の下に山口の信者たちは、一五五四年の末には、貧民施食を毎月三四回行い、貧民の家の建築を企てて募金をはじめた。信者の数はほぼ二千に達していた。トルレスの宣教師館も著しく腐朽して来たので、新らしい建築が企てられた。半年余りの後、一五五五年七月半ばには、幅九間余、長さ六間半の新会堂が完成し、ミサが行われた。その秋にはシルヴァが豊後に移り、フェルナンデスが山口に帰って来たらしい。
(1950年・昭和25年 5月)
鎖国中のキリスト教信者が募金を始めた,という本来の意味です。
ここからは,昭和と平成の文章です。
「秋風と彼女の足もと」 片岡義男
(略)そう、あれは昭和の二十二年のこと」
「私が生まれる二年前ですね」
「そう、新憲法の年。キャサリン台風。共同募金。鐘の鳴る丘。知ってる?」
「いいえ」
(1976年・昭和51年)
「共同募金」で1つの固有名詞。主催者側がつけた名前です。
「脳細胞日記」 太田健一
四谷に着いたとき隼人はかなり躊躇したが、結局降りずに新宿まで行くことにした。新宿に着くと東口の改札口を通り抜けてマイシティーの本屋で少し立ち読みした後、ビルの外に出た。左側の線路沿いの壁には多くの大看板が並んで架けてあり、封切り間近の映画を宣伝している。(中略)その下の広場には『カンボジア難民救済募金』と書かれた募金箱を首からかけた浅黒い肌の少女が、誰からも注意を引かれることなくひっそりと佇んでいる。日曜ほどではないが人通りは思っていたより多かった。
(1989年・平成元年 6月)
これも本来の意味ですね。「救済のために募るお金」,そのための「募金箱」。
残念ながら,お金を出す側の「募金」は青空文庫からは見つかりませんでした。
まあ,青空文庫は著作権の切れた作品のみなのでやむを得ません。
最後に「募金」に似た言葉で「寄付」があります。
どう違うのか,あるサイトがこんな説明をしています。
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募金について調べていると「そもそも募金と寄付は何が違うの?」と疑問を持つ方も多いです。募金と寄付には、読み方以外に一体どのような違いがあるのでしょうか?
募金は「金銭を募って集めること」です。つまり、寄付を集める側の行為を指します。
対して寄付は「金銭または物品を贈ること」ですので、寄付をする側の行為を指します。つまり、寄付と募金はその行為を行う立ち位置が異なります。
昨今では団体や自治体などへ金銭を贈るときに「〇〇へ募金した」と使われるケースも多いですが、厳密には「〇〇へ寄付した」が正解です。寄付や募金される際は、こうした意味の違いもしっかり理解しておくことが大切です。
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英語だと,次の言い方が考えられます。
raise
to collect money that you can use to do a particular job or help people
特定の仕事をしたり人々を助けるために使うことができるお金を集めること
例
a concert to raise money for charity
(慈善義援金コンサート)
donate
to give something, especially money, to a person or an organization in order to help them
ある人物や組織を助けるために物,特にお金を与えること
例文
Last year he donated $1,000 to cancer research.
(去年彼はがん研究のために千ドル寄付した。)
厳密には支払う側の「募金した」は「寄付した」が正しく,誤解がないようです。
この記事へのコメント
社会に出るようになってからは「募金」と「寄付」の違いが分かるようになりましたが、学生時代は良く分かっていなかったようです。
ところで、動画配信の「投げ銭」はどうなのでしょうね。これも本来の意味から離れて拡大解釈されつつあるようです。
あまり詳しくはないのですが、欧米の「Patreon」は、本来の「寄付」から拡大して、現在はビジネスのようになっているようですね。昨日もこの「Patreon」の仕組み上で活動しているアーティストの音楽を聴いていました。
おはようございます。
「投げ銭」,私はあまり使わないのですが,本来は大道芸人などにする行為ですね。言葉の解釈と言うよりは対象の拡大解釈と言う点でおもしろそうな表現ですね。他にもありそうです。