「願わくは」か「願わくば」か!?(3) 青空文庫「願わくは」

西行法師の歌から始まった「願わくは」か「願わくば」か。本来は・・・

願わく花の下にて春死なんその如月の望月の頃

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ちなみに,これは昨夜の仙台西公園で夜桜見物をする人々。

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本来は「願わくは」ですが,最近の辞書では「願わくば」も許容しているようです。
でも,前回も最後に描いたのですが,個人的には「願わくは」は「私が願うことは」の意味で,「願わくば」は「できることなら」くらいの意味という印象を受けます。

では,いつものごとく青空文庫で「願わくは」が出てくる小説などを見てみましょう。

「思ひ出す事など」 夏目漱石
そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに 打壊 ( うちこわ ) す者を、永久の敵とすべく心に誓った。


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「私の願いは善良な人間になること」という意味ですね。


「遠野物語」 柳田国男
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。


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有名な「遠野物語」の冒頭に出てくる文章。
佐々木君から聞いた遠野の奇妙な話の数々を語りたい,ということですね。


「一燈」 太宰治
あのように純一な、こだわらず、蒼穹(そうきゅう)にもとどく程の全国民の歓喜と感謝の声を聞く事は、これからは、なかなかむずかしいだろうと思われる。願わくは、いま一度。誰に言われずとも、しばらくは、辛抱せずばなるまい。


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歓喜と感謝の声をもう一度聞きたい,の意味でしょう。


「李陵」 中島敦
願わくは少をもって衆を撃たんといった陵の言葉を、 派手好きな武帝は大いに 欣 ( よろこ ) んで、その願いを 容れた。


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やはり文語調の文章によく使われています。


次回は青空文庫から「願わくば」の文章を集めてみます。

誤用とされていた「願わくば」を使う作家はいるのでしょうか?
ニュアンスの違いがあるのでしょうか?




この記事へのコメント

2025年04月11日 06:57
おはようございます。

 この「願わくは」というのは漢文訓読調の文章ですので、会話文にしにくいのでしょうね。だから誤用されやすいというか、つい接続助詞で繋いでしまうのかもしれませんね。動詞「願う」を連体形にして、格助詞の「は」で繋いで主部にする、というのは日本語の会話文ではかなり回りくどく、不自然ですので。
2025年04月12日 06:46
あきあかねさん
おはようございます。
そうなんですよね,そもそも「願わくは」がなぜ日本語として成立するのか,そして「願わくば」がどうして使われるようになったのか!?
そのあたり,次回最終回で触れています。