「願わくは」か「願わくば」か!?(4) 青空文庫「願わくば」

前回は青空文庫から「願わくは」の文章を集めてみました。
そして,今回は「願わくば」を見てみます。

前回書いたように,誤用とされていた「願わくば」を使う作家はいるのでしょうか?
「願わくは」とニュアンスの違いがあるのでしょうか?


前回「願わくは」で登場した太宰治がさっそく登場です。

「パンドラの匣」 太宰治
「知らねえ。フランスでも何でも、とにかくこれは返すよ。毛唐はつまらねえ。日本の女優の写真とかえてくれねえか。あい願わくば、そうしてもらいたい。こいつは、向うの小柴のひばりさんにでもあげるんだね。」
「ぜいたく言ってる。特別に、あなただけに差上げるのよ。ひばりには、いや。意地わるだから、いや。」

初出:「河北新報」(1945年10月22日~1946年1月7日)


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「できるものなら」という意味でしょうか。


そして文壇の大御所をはじめ,多くの作家が「願わくば」を使っています。

「桶狭間合戦」 菊池寛
「現今の世相混沌たるを憂えて自ら天下を平定しようと考えて居ます処、義元横暴にして来り侵して居ます。敵味方の衆寡はあだかも蟷螂(とうろう)の車轍(しゃてつ)に当る如く、蚊子(ぶんし)の鉄牛を咬かむが如きものがあります。願わくば天下の為に神助あらんことを」と云った意味のものであるが、果してこの様な願文を出したかどうか多少怪しい処はあるが、この戦をもって天下平定の第一歩であると考えて居た事は疑あるまいと思われる。

(「日本合戦譚」より)


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これは「願わくは」に近い意味でしょうか。「天下のために神の助けを願っています」の意味。


「三国志 桃園の巻」 吉川英治
玄徳は、また進んで、
願わくば行(ゆ)いて援(たす)けん」
と申し出たので、太守劉焉はよろこんで、校尉(こうい)鄒靖(すうせい)の五千余騎に加えて、玄徳の義軍にその先鋒を依嘱した。

初出 1939年


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大学時代に夢中で読んだ「三国志」の冒頭の巻です。
文語調の文章に使われています。「行って手助けをいたしましょう」と願い申し出ています。


「田舎教師」 田山花袋
清三は今、車の上でその時のことを思い出した。心臓の鼓動の尋常でなかったことをも思い出した。そしてその夜日記帳に、「かれ、幸多かれ、願はくば幸多かれ、オヽ神よ、神よ、かの友の清きラヴ、美しき無邪気なるラヴに願はくば幸多からしめよ、涙多き汝なんじの手をもって願はくば幸多からしめよ、神よ、願ふ、親しき、友のために願ふ」と書いて、机の上に打っ伏したことを思い出した。

初出 1909年


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現代的仮名遣いに直せば「願わくば」が3回連続して強調されています。
「幸多きことを願っています」とも「できるなら」の意味にもとれそうです。


冒頭の2つの疑問に戻れば,本来の「願わくは」(私の願いは)の意味にも「できるならば」の意味にもとられそうな微妙な表現が多いのではないでしょうか。
そして,大作家もかつては誤用とされた「願わくば」を多く使っています

でも,この誤用問題は誤用と言っていいのか?

もともと「願はくは」(願わくは)は「願ふ」のク語用法に助詞の「は」がついたもの。
他にも,「恐る」→ク語用法「恐らく」→「恐らくは」などがこの例です。

私が所有する広辞苑では「願うところは」を意味とし,「江戸時代ごろからネガワクバともいうようになった」とあります。
もう江戸時代から使われている用法なら,誤用というのは難しいんじゃないか。

この変化の理由について,以前も取り上げたサイト「毎日ことば」では・・・

江戸時代から見られるが,当時「なくば」(ないならば)「ほしくば」(ほしければ)のように,形容詞に接続助詞の「ば」をつけた仮定の言い方があって,その「くば」と混同したところから起こったものであろう。

と推測しています。

「願わくば」がどちらかというと「できるならば」という仮定のニュアンスをもつのは,こういう背景があるんですね。


4回続けて「願わくは」「願わくば」について書いてきましたが,これをまとめとします。

読んでいただきありがとございました。
願わくは,今後も読んでいただけること。そうならとてもうれしいです。


この記事へのコメント

2025年04月12日 06:57
おはようございます。

 太宰あたりの年代ですと、校正で指摘が入らなかったのでしょうかねぇ?
 この「は」、「ば」問題、未だしばらくは両方が共存しそうですね。で、やがては「ば」に落ち着くのではないでしょうか。「ば」の方が言いやすいですから。
2025年04月13日 07:17
あきあかねさん
おはようございます。
もうすでに「願わくば」が「は」を追い抜いているので,ゆくゆくは「ば」になっていくのでしょうか。ただ,「ば」も認めれれているので,ニュアンスの違いで「は」は「願いは」,「ば」は「できるならば」の住み分けができるといいなあと思っています。