earworm(6) A Literary Nightmare その対処法と結末
土曜日で全部書き上げるつもりでしたが,ちょっと週をまたいでしまいました。
マーク・トウェインの短編小説「A Literary Nightmare」の結末を紹介しましょう。
(自分で読みたい人は,今回の記事を読まないことをお勧めします。)

さて,これまで・・・
主人公の作家と思われる「私」は新聞で読んだ韻文が耳から離れません。
まあ「マーク」と呼びかけられる場面があるので,主人公はマーク・トウェイン本人と考えてもいいでしょう。
小説の続きを書こうとしても,いつの間にかあの詩「乗客の面前でパンチ!」と書いている始末。
気を紛らわせようとして街を散歩しても,自分の歩調にあのジングルがついてくる。歩調を変えても結果は同じ。
食事のときも,ベッドに入っても,頭から離れず「私」は発狂寸前です。

さて,この後のことは全文を訳そうかとも考えたのですが,その時間はなさそうなので,英語版 Wikipedia から,概要の部分を紹介します。「私」は「彼」として書かれています。
... a few days later, he takes a walk with his friend, the Reverend, and inadvertently transfers the jingle to the reverend's mind. As this happens, Twain experiences a sense of relief, and returns to his normal life.
数日後,作家の彼は友人の牧師と散歩に出かけ,うっかり例のジングルを牧師の頭に移してしまうのです。このことで,トウェインは安らぎ,日常生活に戻ります。
少し解説すると・・・
牧師は「マーク」が普段とは違い,疲れ果ててぼんやりしている様子に,何かあったのかと尋ねます。
でも,マークが口にするのは例の「兄弟よ,パンチ! 乗客の面前でパンチ!」(笑)
友人の牧師は茫然とし,困惑します。
マーク自身も記憶が飛んでしまってよく覚えていないのですが,ジングルを繰り返します。
すると牧師はそのジングルに魅了されていまうのです(笑)。
マークもマークで,何度も繰り返す牧師のちょっとした韻文の間違いを訂正したりして。
牧師が正確にジングルを言い出すと,あら不思議,マークの脳からジングルが消え去り,心に平和が戻ります。
かわいそうなのは牧師。意識がないようで例のジングルを繰り返しています。
続きです。
Some days after Twain was cured, the Reverend visits him; he is in a terrible state, as the jingle, which keeps on repeating in his head, has already disabled his concentration. He tells Twain of some incidents where the rhythm of the jingle influenced his actions, such as when churchgoers started swaying to the rhythm of his homilies. Taking pity on the man, Twain decides to cure him, and brings him to a meeting of university students. The Reverend successfully manages to transfer the jingle from himself to the students, curing himself and, at the same time, continuing the cycle.
トウェインが完治した数日後,牧師が彼を訪ねてきます。それはもうひどい状態で,牧師は頭の中で何度も繰り返すあのジングルで,すでに集中力はなくなっています。牧師はトウェインにジングルのリズムが彼の行動に影響を与えた出来事について話します。例えば,教会に来た人々が牧師の説教のリズムに合わせて体を揺らし始めたのです。牧師のことを気の毒になり,トウェインは治してあげようと決意して,大学生の集会に連れていきます。牧師はあのジングルを学生たちに移すことに成功するのです。自分を完治させると同時にこの悪循環を継続させながら。
どうも,悪性のイヤーワームは人に伝染させることによって自分は治るみたいですね!
なんか,不幸の手紙みたい(笑)。
補足すると・・・
牧師は旧友が亡くなった電報が入り,葬儀の説教のために夜行列車でボストンに行きます。
もうおわかりですね。牧師は厳粛な言葉の中に「兄弟よ,パンチ!」を絡めてしまうのです。
会葬者も牧師の言葉に魅了されたのか,頭を振っています。
そんな友人の牧師を救うべく,マークは近隣の大学に牧師を連れていき,罪のない学生たちにジングルを伝染させ,牧師を救います。
気になるのは最後ですよね。
小説の最後はこういう言葉で終わります。原文より。
How is it with them, now? The result is too sad to tell. Why did I write this article? It was for a worthy, even a noble, purpose. It was to warn you, reader, if you should came across those merciless rhymes, to avoid them--avoid them as you would a pestilence.
今,学生たちはどうなっているでしょう? 結果を言葉にするには悲しすぎます。私はなぜこの文章を書いたのでしょう? それは価値のある,というよりは高貴な目的のためでした。読者諸君,もしあなたがあのような無慈悲な韻文に出会ったのなら,それを避けるよう,その伝染病を避けるよう警告するためでした。

結果を言葉にするには悲しすぎる・・・って,自分がやったことなのに(笑)。
長く続いたシリーズににお付き合いいただきありがとうございました。
マーク・トウェインの短編小説「A Literary Nightmare」の結末を紹介しましょう。
(自分で読みたい人は,今回の記事を読まないことをお勧めします。)

さて,これまで・・・
主人公の作家と思われる「私」は新聞で読んだ韻文が耳から離れません。
まあ「マーク」と呼びかけられる場面があるので,主人公はマーク・トウェイン本人と考えてもいいでしょう。
小説の続きを書こうとしても,いつの間にかあの詩「乗客の面前でパンチ!」と書いている始末。
気を紛らわせようとして街を散歩しても,自分の歩調にあのジングルがついてくる。歩調を変えても結果は同じ。
食事のときも,ベッドに入っても,頭から離れず「私」は発狂寸前です。

さて,この後のことは全文を訳そうかとも考えたのですが,その時間はなさそうなので,英語版 Wikipedia から,概要の部分を紹介します。「私」は「彼」として書かれています。
... a few days later, he takes a walk with his friend, the Reverend, and inadvertently transfers the jingle to the reverend's mind. As this happens, Twain experiences a sense of relief, and returns to his normal life.
数日後,作家の彼は友人の牧師と散歩に出かけ,うっかり例のジングルを牧師の頭に移してしまうのです。このことで,トウェインは安らぎ,日常生活に戻ります。
少し解説すると・・・
牧師は「マーク」が普段とは違い,疲れ果ててぼんやりしている様子に,何かあったのかと尋ねます。
でも,マークが口にするのは例の「兄弟よ,パンチ! 乗客の面前でパンチ!」(笑)
友人の牧師は茫然とし,困惑します。
マーク自身も記憶が飛んでしまってよく覚えていないのですが,ジングルを繰り返します。
すると牧師はそのジングルに魅了されていまうのです(笑)。
マークもマークで,何度も繰り返す牧師のちょっとした韻文の間違いを訂正したりして。
牧師が正確にジングルを言い出すと,あら不思議,マークの脳からジングルが消え去り,心に平和が戻ります。
かわいそうなのは牧師。意識がないようで例のジングルを繰り返しています。
続きです。
Some days after Twain was cured, the Reverend visits him; he is in a terrible state, as the jingle, which keeps on repeating in his head, has already disabled his concentration. He tells Twain of some incidents where the rhythm of the jingle influenced his actions, such as when churchgoers started swaying to the rhythm of his homilies. Taking pity on the man, Twain decides to cure him, and brings him to a meeting of university students. The Reverend successfully manages to transfer the jingle from himself to the students, curing himself and, at the same time, continuing the cycle.
トウェインが完治した数日後,牧師が彼を訪ねてきます。それはもうひどい状態で,牧師は頭の中で何度も繰り返すあのジングルで,すでに集中力はなくなっています。牧師はトウェインにジングルのリズムが彼の行動に影響を与えた出来事について話します。例えば,教会に来た人々が牧師の説教のリズムに合わせて体を揺らし始めたのです。牧師のことを気の毒になり,トウェインは治してあげようと決意して,大学生の集会に連れていきます。牧師はあのジングルを学生たちに移すことに成功するのです。自分を完治させると同時にこの悪循環を継続させながら。
どうも,悪性のイヤーワームは人に伝染させることによって自分は治るみたいですね!
なんか,不幸の手紙みたい(笑)。
補足すると・・・
牧師は旧友が亡くなった電報が入り,葬儀の説教のために夜行列車でボストンに行きます。
もうおわかりですね。牧師は厳粛な言葉の中に「兄弟よ,パンチ!」を絡めてしまうのです。
会葬者も牧師の言葉に魅了されたのか,頭を振っています。
そんな友人の牧師を救うべく,マークは近隣の大学に牧師を連れていき,罪のない学生たちにジングルを伝染させ,牧師を救います。
気になるのは最後ですよね。
小説の最後はこういう言葉で終わります。原文より。
How is it with them, now? The result is too sad to tell. Why did I write this article? It was for a worthy, even a noble, purpose. It was to warn you, reader, if you should came across those merciless rhymes, to avoid them--avoid them as you would a pestilence.
今,学生たちはどうなっているでしょう? 結果を言葉にするには悲しすぎます。私はなぜこの文章を書いたのでしょう? それは価値のある,というよりは高貴な目的のためでした。読者諸君,もしあなたがあのような無慈悲な韻文に出会ったのなら,それを避けるよう,その伝染病を避けるよう警告するためでした。

結果を言葉にするには悲しすぎる・・・って,自分がやったことなのに(笑)。
長く続いたシリーズににお付き合いいただきありがとうございました。
この記事へのコメント
なるほど、この”悪夢”にはそういうオチになるのですねw
フレドリック・ブラウンのSFショート・ショートみたいな内容でした(笑)
おはようございます。フレドリック・ブラウン!
私も世界でいちばん短いSF小説として一度書いたことがあります。まあ,このマーク・トウェインもちょっと異世界のような話ですが・・・。