上高地(4) 明神池へ そしてホテルへ戻る
さて,「上高地銀座」とまで言われる河童橋をあとに,散策は続きます。

さあ,上流へ。バスで一緒になったオランダからの留学生に再会。

上流に向かって左の「梓川右岸道」を歩いて行きます。

間もなく岳沢湿原に着きました。

マガモのつがいが泳いでいます。ここではサルも鳥も逃げません。お互い無関心を装います。

ところが,このあたりで緊張が走ります。
男性が警棒のようなもの,アクリルの盾,クマスプレーを持って警戒しています!

そのような男性が間隔を置いて3人います。
「クマが出ました。だいぶ遠くですので念のためです。大丈夫ですのでお通り下さい」
確かに YAMAP ではクマ警戒のマークが出ています。

思わず,クマ鈴をリュックにつけてその後は歩きました。
でも,このように人を配置して対策をしているところは,さすが上高地だと思います。
1時間くらい歩いたでしょうか,明神橋が見えてきました。今日の折り返し地点になります。

その前に明神池(有料)と穂高神社に寄ります。奥に見えるのが明神岳。

鳥居をくぐると右側に嘉門次碑があります。
前回の芥川龍之介の文章では「嘉門治」として出てきます。

上條嘉門次(右上)はあのウェストンを案内したアルプスの名ガイド。ウェストンの書籍の中でも紹介されています。

ウォルター・ウェストン著「Mountaineering and exploration in the Japanese Alps(日本アルプスの登山と探検)」では9回ほど嘉門次の名前を見つけることができました。

Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps
嘉門次の名前が初めて出てくるところ。
On my return to Hashiba, I found the prospects of my climb of the dreariest. Rain was falling heavily. Hour by hour the swift waters of the Adzusagawa rose higher as they roared past the rocky headland on which the little inn was perched. My hunter, Kamonji, to whom I had been directed as the best man to take as guide, said an immediate start was impossible.
橋場に戻ると,この登山が最悪になる気がした。雨はどしゃ降りだった。1時間ごとに梓川は急流となり水かさが増していった。小さな宿小屋がある岩の突端を過ぎてまるで吠えるように。ガイドとして最高の男で私を導いてくれている猟師の嘉門次は,今すぐの出発は無理だと言った。
さて,明神池まで約3時間半かかっています。

明神池は穂高神社神域のために拝観料が必要です。

水芭蕉が咲いています。

名物のイワナの丸焼きは食べませんでした。
さあ,明神橋を渡って折り返します。

明神橋の反対側から見た明神岳五峰。

さあ,梓川左岸道を帰ります。ニホンザルが木に登って遊んでいます。

小梨平までくると,ここはキャンプ場で,無数のテントが張ってあります。テント泊の人たちでしょう。

河童橋まで戻ってきました。

河童橋の近くの「五千尺ホテル」のお店でお土産などを買いました。
「五千尺」というのは「♪アルプス一万尺」の半分という意味でしょうか。

さあ,大正池ホテルへ帰りましょう。左岸をひたすら帰ります。

往路でも通った遊歩道。

夕暮れの大正池と焼岳。戻ってきました。

芥川龍之介が上高地を訪れたのが明治42年。
「槍ヶ嶽紀行」には「近頃噴火の噂がある,焼嶽(やけだけ)」と書いています。
実際に,大正4年に大噴火を起こし,一夜にしてこの大正池ができあがりました。
大正池ホテル到着。

約6時間の上高地散策。

高低差があるように見えますが,実際はそれほどありません。

3Dで見てみると,こうなります。

ホテルでの食事は美味しくいただきました。明神池では食べなかったイワナの丸焼きが出ました。
お風呂に入って寝ます。
明日は西穂高岳に登ります。睡眠をとって備えましょう。

つづく

さあ,上流へ。バスで一緒になったオランダからの留学生に再会。

上流に向かって左の「梓川右岸道」を歩いて行きます。

間もなく岳沢湿原に着きました。

マガモのつがいが泳いでいます。ここではサルも鳥も逃げません。お互い無関心を装います。

ところが,このあたりで緊張が走ります。
男性が警棒のようなもの,アクリルの盾,クマスプレーを持って警戒しています!

そのような男性が間隔を置いて3人います。
「クマが出ました。だいぶ遠くですので念のためです。大丈夫ですのでお通り下さい」
確かに YAMAP ではクマ警戒のマークが出ています。

思わず,クマ鈴をリュックにつけてその後は歩きました。
でも,このように人を配置して対策をしているところは,さすが上高地だと思います。
1時間くらい歩いたでしょうか,明神橋が見えてきました。今日の折り返し地点になります。

その前に明神池(有料)と穂高神社に寄ります。奥に見えるのが明神岳。

鳥居をくぐると右側に嘉門次碑があります。
前回の芥川龍之介の文章では「嘉門治」として出てきます。

上條嘉門次(右上)はあのウェストンを案内したアルプスの名ガイド。ウェストンの書籍の中でも紹介されています。

ウォルター・ウェストン著「Mountaineering and exploration in the Japanese Alps(日本アルプスの登山と探検)」では9回ほど嘉門次の名前を見つけることができました。

Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps
嘉門次の名前が初めて出てくるところ。
On my return to Hashiba, I found the prospects of my climb of the dreariest. Rain was falling heavily. Hour by hour the swift waters of the Adzusagawa rose higher as they roared past the rocky headland on which the little inn was perched. My hunter, Kamonji, to whom I had been directed as the best man to take as guide, said an immediate start was impossible.
橋場に戻ると,この登山が最悪になる気がした。雨はどしゃ降りだった。1時間ごとに梓川は急流となり水かさが増していった。小さな宿小屋がある岩の突端を過ぎてまるで吠えるように。ガイドとして最高の男で私を導いてくれている猟師の嘉門次は,今すぐの出発は無理だと言った。
さて,明神池まで約3時間半かかっています。

明神池は穂高神社神域のために拝観料が必要です。

水芭蕉が咲いています。

名物のイワナの丸焼きは食べませんでした。
さあ,明神橋を渡って折り返します。

明神橋の反対側から見た明神岳五峰。

さあ,梓川左岸道を帰ります。ニホンザルが木に登って遊んでいます。

小梨平までくると,ここはキャンプ場で,無数のテントが張ってあります。テント泊の人たちでしょう。

河童橋まで戻ってきました。

河童橋の近くの「五千尺ホテル」のお店でお土産などを買いました。
「五千尺」というのは「♪アルプス一万尺」の半分という意味でしょうか。

さあ,大正池ホテルへ帰りましょう。左岸をひたすら帰ります。

往路でも通った遊歩道。

夕暮れの大正池と焼岳。戻ってきました。

芥川龍之介が上高地を訪れたのが明治42年。
「槍ヶ嶽紀行」には「近頃噴火の噂がある,焼嶽(やけだけ)」と書いています。
実際に,大正4年に大噴火を起こし,一夜にしてこの大正池ができあがりました。
大正池ホテル到着。

約6時間の上高地散策。

高低差があるように見えますが,実際はそれほどありません。

3Dで見てみると,こうなります。

ホテルでの食事は美味しくいただきました。明神池では食べなかったイワナの丸焼きが出ました。
お風呂に入って寝ます。
明日は西穂高岳に登ります。睡眠をとって備えましょう。

つづく
この記事へのコメント
さすが上高地ですね。熊の被害を防ぐための人員を配置する、等と言うのを初めて聞きました。警察官や消防団などの公的機関の人々が出動するのは見聞きしていますが、お話ではどうやら私的に募集された人々のようですね。町が雇ったのでしょうか、観光協会が雇ったのでしょうか…、さすがお金が沢山落ちる自治体は違うなあって思いました。
おはようございます。
彼らが常時待機しているのか,緊急に招集されたのかはわかりませんが,そのような体制がとられているのはさすがだなと思います。
散策路には所々クマベルが設置されていて,通る人々が鳴らしていきますし,大勢人が来る山ほどクマは出ないと聞きます。クマだって人とは出会いたくないでしょう。
6時間かけて上流まで歩いてきました。重装備やヘルメットまで持参している集団はどこまで登るのでしょう。登山道は閉鎖されているはずなんですが,途中の山小屋まで行く人々なのかな。