善光寺(1) 牛に引かれて善光寺
前回,信州の俳人,小林一茶の句を取り上げました。

一茶にはこんな句もあります。
春風や牛に引かれて善光寺 一茶
(はるかぜやうしんひかれてぜんこうじ)
「七番日記」所収。
心地よい春風を受けていたら,信州の昔話のようにまるで牛に引かれるかのように,いつの間にか善光寺に着いていた,という出来事を詠んでいます。

50歳で江戸から郷里・信濃町に戻った一茶ですが,俳諧の指導をする際に善光寺に210日泊っているそうです。そして「善光寺」を詠んだ句は50ほどあります。
さて,一茶が引用した「牛に引かれて善光寺」の昔話とは,どんな話なんでしょう?
Wikipedia から引用。

むかし,善光寺から東に十里の村里に欲張りで信心薄い老婆が住んでいました。
ある日,川で布を晒していると,どこからか1頭の牛が現れ,角にその布を引っかけて走り去ってしまいました。老婆は布を取り戻したい一心で,牛を必死に追いかけ,ついに長野の善光寺まで辿りつきました。
ところが牛の姿を見失い,日も暮れて途方にくれた老婆は,仕方なく善光寺の本堂で夜を明かすことにしました。
するとその夜,老婆の夢枕に如来様が立ち,不信心をお諭しになりました。目覚めた老婆は今までの行いを悔いて改心し,たびたび善光寺を参詣しました。そして死後には極楽往生を遂げました。
その他にも義経と弁慶や聖徳太子が善光寺と関係する伝説があるほど歴史ある名刹なのです。
善光寺は無宗派の仏教寺院で,実際の護持・運営は天台宗と浄土宗が担っています。
本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)です。
これは長野駅から続く善光寺への参道(車道)。

どうも長野県立美術館では「鈴木敏夫とジブリ展」が開かれているようで,同じデザインの紙袋を持った人を見かけます。

まずはお腹が空いたので信州そばを食べましょう。お目当ての店へ。
信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあんたのそばがいい,は都々逸でフーテンの寅さんのセリフ。
わっ,信州名物,八幡屋礒五郎の七味唐辛子の宣伝カー?

小菅亭で名前を書いて少し待ちます。その間に営業終了の表示に。助かった。

明治創業の老舗。店内には店主の趣味か,ネコの置物がたくさん。写真はほんの一部。


天ぷらもりそば。おいしくいただきました。

さて,善光寺参り。これは仁王門(登録有形文化財)。

1752年に建立。しかし,善光寺大地震により2度焼失。1918年に再建。
仁王像は高村光雲・米原雲海による作で,一般的な配置と逆になっています。
右に吽形。

左に阿形。

仁王門を抜けると仲見世通り。山門(三門)が見えます。

山門(重要文化財)。
寛延3年(1750年)に完成。平成19年(2007年)に修復工事がなされ,大正から昭和にかけての修理で檜皮葺きになっていた屋根が,創建当初の栩葺き(とちぶき)に改められました。

正面「善光寺」の額には,鳩が5羽描かれていることから「鳩字の額」としても親しまれています。「善」の字が牛の顔に見えるとも言います。

5羽の鳩,見つかりましたか? この信号の表示のほうがわかりやすいですね。

山門をくぐれば本堂が見えます。
善光寺本堂は近世の建築としては東大寺大仏殿につぐ大建築で,屋根の広さは日本一だそうです。

現在の本堂は宝永4年(1707年)竣工で国宝です。

拝観料はいりませんが,本堂の中の奥に進むのには必要です。
本堂の外観もそうですが,内部にも圧倒されます。合掌。
再び仲見世を通って帰ります。

仁王門を出ます。5月にこの赤い葉は何の樹木だろう。

八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)は長野市に所在する七味唐辛子メーカーで,元文元年(1736年)に初代の勘右衛門より約280年以上続く老舗。店には長蛇の列。

もっとも基本的な七味唐辛子(右)は仙台のスーパーでも買えますが,今回は「ラーメン七味」(左)を(この店ではありませんが)購入しました。

最近はこの七味唐辛子を使ったおかめ納豆もスーパーで見かけます。

しばらくは,これでも食べて善光寺を懐かしみますか・・・。
つづく

一茶にはこんな句もあります。
春風や牛に引かれて善光寺 一茶
(はるかぜやうしんひかれてぜんこうじ)
「七番日記」所収。
心地よい春風を受けていたら,信州の昔話のようにまるで牛に引かれるかのように,いつの間にか善光寺に着いていた,という出来事を詠んでいます。

50歳で江戸から郷里・信濃町に戻った一茶ですが,俳諧の指導をする際に善光寺に210日泊っているそうです。そして「善光寺」を詠んだ句は50ほどあります。
さて,一茶が引用した「牛に引かれて善光寺」の昔話とは,どんな話なんでしょう?
Wikipedia から引用。

むかし,善光寺から東に十里の村里に欲張りで信心薄い老婆が住んでいました。
ある日,川で布を晒していると,どこからか1頭の牛が現れ,角にその布を引っかけて走り去ってしまいました。老婆は布を取り戻したい一心で,牛を必死に追いかけ,ついに長野の善光寺まで辿りつきました。
ところが牛の姿を見失い,日も暮れて途方にくれた老婆は,仕方なく善光寺の本堂で夜を明かすことにしました。
するとその夜,老婆の夢枕に如来様が立ち,不信心をお諭しになりました。目覚めた老婆は今までの行いを悔いて改心し,たびたび善光寺を参詣しました。そして死後には極楽往生を遂げました。
その他にも義経と弁慶や聖徳太子が善光寺と関係する伝説があるほど歴史ある名刹なのです。
善光寺は無宗派の仏教寺院で,実際の護持・運営は天台宗と浄土宗が担っています。
本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)です。
これは長野駅から続く善光寺への参道(車道)。

どうも長野県立美術館では「鈴木敏夫とジブリ展」が開かれているようで,同じデザインの紙袋を持った人を見かけます。

まずはお腹が空いたので信州そばを食べましょう。お目当ての店へ。
信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあんたのそばがいい,は都々逸でフーテンの寅さんのセリフ。
わっ,信州名物,八幡屋礒五郎の七味唐辛子の宣伝カー?

小菅亭で名前を書いて少し待ちます。その間に営業終了の表示に。助かった。

明治創業の老舗。店内には店主の趣味か,ネコの置物がたくさん。写真はほんの一部。


天ぷらもりそば。おいしくいただきました。

さて,善光寺参り。これは仁王門(登録有形文化財)。

1752年に建立。しかし,善光寺大地震により2度焼失。1918年に再建。
仁王像は高村光雲・米原雲海による作で,一般的な配置と逆になっています。
右に吽形。

左に阿形。

仁王門を抜けると仲見世通り。山門(三門)が見えます。

山門(重要文化財)。
寛延3年(1750年)に完成。平成19年(2007年)に修復工事がなされ,大正から昭和にかけての修理で檜皮葺きになっていた屋根が,創建当初の栩葺き(とちぶき)に改められました。

正面「善光寺」の額には,鳩が5羽描かれていることから「鳩字の額」としても親しまれています。「善」の字が牛の顔に見えるとも言います。

5羽の鳩,見つかりましたか? この信号の表示のほうがわかりやすいですね。

山門をくぐれば本堂が見えます。
善光寺本堂は近世の建築としては東大寺大仏殿につぐ大建築で,屋根の広さは日本一だそうです。

現在の本堂は宝永4年(1707年)竣工で国宝です。

拝観料はいりませんが,本堂の中の奥に進むのには必要です。
本堂の外観もそうですが,内部にも圧倒されます。合掌。
再び仲見世を通って帰ります。

仁王門を出ます。5月にこの赤い葉は何の樹木だろう。

八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)は長野市に所在する七味唐辛子メーカーで,元文元年(1736年)に初代の勘右衛門より約280年以上続く老舗。店には長蛇の列。

もっとも基本的な七味唐辛子(右)は仙台のスーパーでも買えますが,今回は「ラーメン七味」(左)を(この店ではありませんが)購入しました。

最近はこの七味唐辛子を使ったおかめ納豆もスーパーで見かけます。

しばらくは,これでも食べて善光寺を懐かしみますか・・・。
つづく
この記事へのコメント
私が長野を訪れたのは学生の頃でした。気の合う友人との二人旅だったのですが、良い町でしたね。こじんまりとした美しい町でした。勿論、善行寺参りもし、この昔ばなしもガイドさんから聞きました。
ひとつだけ閉口したのは、ものすっごく暑かった! なにせ、行ったのが夏休み、一年で最も暑い8月初めでした。
おはようございます。
今回,初めて善光寺を訪ねて圧倒されました。門前町も素敵で歴史があります。
もう一度行ってみたい古刹です。
今回,私はあるミッションを課しました。それは次回以降で。