まもなく,さよなら 天童製麺
天童製麺は山形の天童にある乾麺のそばの製造業者。
でも,宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」に日曜日と祝日に直営のラーメン屋さんを出しています。
以前もこの店について書いたことがあります。
→ 2つの山形のラーメン屋さん(2) 天童製麺 ゆりあげ港朝市
天童製麺は震災前からこの朝市に直営店を出しており,壊滅的な閖上(ゆりあげ)に震災後も店を出し続け愛されてきたのです。
ところが,ショッキングなニュース。天童製麺は今月いっぱいで店を閉じ,天童市に戻ってしまいます。
サイト「仙台つーしん」によると・・・
宮城県名取市のゆりあげ港朝市で,日曜・祝日のみ営業の飲食店を2店舗経営していた山形県天童市の『天童製麺』が2025年6月29日で閉店。
そば店は閉店し、ラーメン店は山形県天童市の『天童製麺』工場前に移転するとのことです。
これは朝市のマップ(英語版)ですが,そば店は閉店し,ラーメン店は天童市の工場前に移転。

これは食べに行かなければ。まあ,山形に戻ってからも行きそうですが。
6時前に並びますが,すでに長蛇の列。

途中雨も降ってきました。

ちなみに,食券は先に買っておきます。

私は中華そば並と味玉。家族は油そば小と味玉。

並んでいる間に読書も進みました。
暖簾までたどり着くのに2時間半くらいだったでしょうか。

店主さんにでしょうか,声をかけていく人もいます。
「山形行ったら,また行くから」
「待ってるよ」
立ち食いも含めて店内の席は限られているので,共有のテーブルでいただきました。
結局,食べられたのは8時40分くらい。
左が油そば,右が中華そば。

美味しくいただきました。
いつものことですが,これを食べてしまうとお昼ご飯はいりません。
帰りの駐車場からは再開したサイクルスポーツセンターと震災を支援したカナダ館が見えます。

帰路,津波の高さに建てられた慰霊碑に合掌。

震災後も営業を続けてくれた天童製麺。
おそらく,天童市にまた食べに行くことでしょう。
でも,宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」に日曜日と祝日に直営のラーメン屋さんを出しています。
以前もこの店について書いたことがあります。
→ 2つの山形のラーメン屋さん(2) 天童製麺 ゆりあげ港朝市
天童製麺は震災前からこの朝市に直営店を出しており,壊滅的な閖上(ゆりあげ)に震災後も店を出し続け愛されてきたのです。
ところが,ショッキングなニュース。天童製麺は今月いっぱいで店を閉じ,天童市に戻ってしまいます。
サイト「仙台つーしん」によると・・・
宮城県名取市のゆりあげ港朝市で,日曜・祝日のみ営業の飲食店を2店舗経営していた山形県天童市の『天童製麺』が2025年6月29日で閉店。
そば店は閉店し、ラーメン店は山形県天童市の『天童製麺』工場前に移転するとのことです。
これは朝市のマップ(英語版)ですが,そば店は閉店し,ラーメン店は天童市の工場前に移転。

これは食べに行かなければ。まあ,山形に戻ってからも行きそうですが。
6時前に並びますが,すでに長蛇の列。

途中雨も降ってきました。

ちなみに,食券は先に買っておきます。

私は中華そば並と味玉。家族は油そば小と味玉。

並んでいる間に読書も進みました。
暖簾までたどり着くのに2時間半くらいだったでしょうか。

店主さんにでしょうか,声をかけていく人もいます。
「山形行ったら,また行くから」
「待ってるよ」
立ち食いも含めて店内の席は限られているので,共有のテーブルでいただきました。
結局,食べられたのは8時40分くらい。
左が油そば,右が中華そば。

美味しくいただきました。
いつものことですが,これを食べてしまうとお昼ご飯はいりません。
帰りの駐車場からは再開したサイクルスポーツセンターと震災を支援したカナダ館が見えます。

帰路,津波の高さに建てられた慰霊碑に合掌。

震災後も営業を続けてくれた天童製麺。
おそらく,天童市にまた食べに行くことでしょう。
この記事へのコメント
わ~! 二時間半待つのですか!? 私はちょっと無理みたい。年寄りは気が短いですので(笑)
ちょっと気になったのですが、このラーメン屋さんの暖簾、蕎麦屋さんぽいのですね。文字も『中華”そば”』ですし… これ、西のほうですと、「○○ラーメン」とか、「ラーメン○○」ですし、京都や大阪では暖簾のデザインも中華風の渦巻き模様や「喜」連ねが多いですね。ちなみに、仙台市内では、昔は白地木綿に「志那そば」が多かったです。
おはようございます。
私もできれば並びたくないのですが,まあ本を読みながらならば時間もつぶれるし・・・。
確かに暖簾はそば屋さんっぽいですね。もともとはそば屋さんだからでしょうか。気になったのは「志那そば」の「志那」。最近どこかでも見かけて気になっていました。これって言い換えか何かでしょうか。
すいません、ご存じの事と思い、不用意に使ってしまいましたが、「志那」は現在は差別用語と捉えられますので使用が控えられることが多いです(特に中国人に対しては)。
元は「china」の音訳でして、日本が中国大陸に進出し始めた昭和初期には盛んに使われるようになっていました。ですが、対中戦争の終了、中華人民共和国の成立とともに、「志那」と言う言葉は「中国」等への言換えがされるようになります。ですので、「志那そば」と言う言葉も、やがて「中華そば」と言換えられ、インスタントの「日清ラーメン」発売後は「ラーメン」と言う単語が主流になっています。
顧みて仙台ですが、私がまだ小学生の頃は、仙台駅前や青葉通の屋台のラーメン屋さんにはまだ「志那そば」の暖簾が掛かっていた所も有りました。ですが、昭和30年代も半ばになりますと、「中華そば」に変わっていましたね。この「中華そば」の暖簾や旗はしばらく変わらず、現在でも使っているお店も有ります。
おはようございます。
私が言いたかった「言い換え」とは,昔はよく「支那」という表記を見ました。もちろんそれが差別的な意味を持つことから避けられてきたことも知っています。でも「志那」という表記を最近見て,これは言い換えか何かと思った次第です。パソコンでは「志那」としか変換されません。