鶉衣(6) 横井也有と芭蕉翁

横井也有の「鶉衣」を取り上げてきましたが,きりがないので,最後に一門の祖,松尾芭蕉について書いているところを取り上げたいと思います。

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七不思議後序(続編下)
和歌に西行あり,連歌に宗祇あり,俳諧に芭蕉翁ありて,三筋に道はわかれども,皆雲水に境界をよす。


「雲水」とは修行者の意味か。まさに芭蕉は俳諧の祖。

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八百坊記(後編下)
二十五ヶ条といふものに,蕉翁の詞とて,詩歌連俳は上手にうそをつく事也とぞ。翁は俳諧の祖師なり。詩歌連歌の人はいざしらず,俳諧師は是を守りて我劣らじとうそをつけども,それも翁のうそかもしらず,あるは門人のうそにもやあらむ。


俳諧はポイントは上手にウソをつくことと芭蕉が言ったとか。でも,それもウソかもしれませんよ(笑)。

ラジオでは安田登さんが言っていました。
俳諧は真剣だけど深刻になってはいけないと。これって今でも俳句の本質なんじゃないのかな。


歎老辞(後編上)
芭蕉翁は五十一にて世をさり給ひ,作文に名を得し難波の西鶴も五十二にて一期を終り,見過しにけり末二年の辞世を残せり。


芭蕉の辞世の句についてはこんな2行の文を書いています。

翁像賛(前編上)
道は古池の吟にひらけつ 吟は枯野の夢におはりぬ
檜の木は月の笠ならねども 影を風雅の世のあふぐらむ


古池はもちろん「古池や」の句で,枯野の夢は生前最後の句ですね。

旅に病で夢は枯野をかけ廻る

「檜の木笠」を扱った句はいくつかあります。

いかめしき音や霰の檜木笠 (野ざらし紀行)
よし野にて桜見せふぞ檜の木笠 (笈の小文)



最後に芥川龍之介の「文芸的な,余りに文芸的な」より。

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二十五 川柳
「川柳」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。古い川柳の発句に近いことは或は誰も知つてゐるかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる。その最も著しい例は「鶉衣」の初板にある横井也有の連句であらう。


今でいう俳句として独立していく発句が川柳に近いものである,これは芥川流のおもしろい指摘です。



この記事へのコメント

2025年07月12日 07:08
おはようございます。

 『詩歌連俳は上手にうそをつく事也とぞ』とは、正に真理なのですが、これが難しい!
 花伝書に曰く、『見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり』ともあり、これもまた真理なのだが、これすらも難しい! ついひけらかしてしまう。 謙虚に、自然体に、この也有の様に飄々とした文が書けたらよいのですが…
2025年07月13日 06:32
あきあかねさん
おはようございます。
俳諧は上手に嘘をつく,これは芭蕉も実践していますよね。「おくのほそ道」も岩沼と笠島(名取)の順がどう考えても入れ替わっていますし,市振の遊女のくだりも芭蕉の創作と言われています。でも,あれは紀行文ではなく創作,俳文ですから,それでいいのです。
いい文章目指したいです。平易な言葉で含蓄のある,衒学的にならない文章。井上ひさしの「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめにかく」ですね。