Finding Home Again(4) その後のサル―

前回はラジオで聞いた話以外のことを補遺的に書きました。
ちょっとだけ付け足すとすれば,5歳の少年サル―が着いたのはカルカッタ(現コルカタ)の中の巨大なハウラ駅でした。
これは現在のハウラ駅。

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書いていて自分でもちょっと不思議だったのは,カルカッタで保護されたときに5歳の少年なら,もう少し自分のことを説明できたのではないかと思うのですが。

これは10ルピーのインド紙幣。英語とヒンディー語で大きく書いてある他に15の言語でも左側に書いてあります。

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インドは多言語国家。
サル―が育ったインド中央はヒンディー語が多く使われますが,カルカッタあたりではベンガル語が主流で約2億人が使っています。

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言語の違いが意思の疎通を悪い方向に持っていったのかもしれません。
まあ,サル―自身も本当はライオンを表すシェル Sheru が名前なのに,サル― Saroo と名乗っていたことも本人確認を遠ざけた一因なのでしょう。

さて,今日の本題は,約25年ぶりに母親と再会したサル―は,その後どうしたのか?
オーストラリアでの生活を続けたのか? インドに戻ったのか?

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結論を先に書くと・・・

サル―はサルー・ブライアリー Saroo Brierley として,オーストラリアに住んでいます。
現在は実業家兼作家の仕事をしています。

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サル―はインドの実の母親をオーストラリアに連れてこようと提案しましたが,彼女はインドに残るほうがいいと言います
サル―自身はヒンディー語をほとんど話せませんし,母親は英語はあまりできません。
母親はオーストラリアでの生活はコミュニケーションが難しいだろう,文化の違いからインドでの生活のほうがいいと考えました。

サルーとインドの家族とは現在パソコンを通して定期的に連絡を取り合っています。
また彼は母親のために家を買ってあげたので,母親はもう働かなくていいのです。

サル―はインドの家族を十数回訪ね,ある旅行ではムンバイからコルカタまで列車のファーストクラスで25年前の旅を辿りました。

2012年に再会を果たしたサルーと家族ですが,翌年,サル―は「A Long Way Home」という本を出版します。

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時間があれば,サル―自身が語るシーンもある次の動画をご覧ください。



サル―の実母とオーストラリアの母親どうしが抱き合うシーンが最後の方にありますが,実母はサル―がいかに大切に育ててもらったかを感じたのでしょう,「サル―はあなたの息子」というような言葉があります。

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子どもの頃のシーンがありましたよね。それは映画のシーンです。

サル―のそれまでの生涯を描いた2016年の映画「ライオン」は絶賛され,第89回アカデミー賞で6部門にノミネートされました。(受賞はしませんでした。)
ガース・デイヴィスが監督で,デヴ・パテルやニコール・キッドマンが演じています。

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こちらは映画の予告編です。



最後に,2019年4月,サルーは幼い頃に自分と家族を去った父親の捜索を行っていると明らかにしています。


シリーズにお付き合いいただき,ありがとうございました。


この記事へのコメント

2025年09月11日 07:01
おはようございます。

 インドは多言語国家ですからねぇ…
 英語を身に着け、高等教育を受けられるようになった人たちは世界を相手に活躍もしているのですが、大部分は他地域に出稼ぎに行っても意思の疎通に苦労する、という事があるようです。
 ネット動画で、ナンは日本で初めて食べた、と言っているインド人を見ました。インドの北と南では違う国の様に文化も言葉も違うのだそうです。
2025年09月12日 06:01
あきあかねさん
おはようございます。
よく聞くのはインドに行くと人生観が変わるとか。まあビートルズもインドに行った後に多くの名曲を生み出していますが。
2つの家族を持ったサル―は幸せなのかな。悩みも多いと思いますが。この話は知りませんでしたし,映画も聞いたことがありませんでした。
実母がサル―を手放す苦しみに心動かされます。