明治の外国人が見た富士山(7) ネリー・ブライ

前回,エリザベス・ビスランドとネリー・ブライの世界一周レース,そしてエリザベスとラフカディオ・ハーンについて書きました。 エリザベスとネリーの世界一周レースの詳細は7年程前の過去記事で。 「八十日間世界一周」の旅(1) 原作と映画 「八十日間世界一周」の旅(2) ネリー・ブライの冒険 「八十日間世界一周」の旅(3) …
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(6) エリザベス・ビスランド

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について書いたのなら,この人を抜かすわけにはいきません。 この写真の女性こそ,エリザベス・ビスランド Elizabeth Bisland(1861 - 1929)。 アメリカのジャーナリスト・編集者で,1889年から1890年にかけて,同じ女性記者のネリー・ブライと世界一周レースを競い,世…
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(5) ラフカディオ・ハーン 後編

前回はラフカディオ・ハーンの「日本の面影」Grimpses of Unfamiliar Japan の冒頭「東洋の第1日」から,横浜で見た富士山について書きました。 そして,ハーンで思い出す地名と言えば,小泉節子(セツ)と結婚し生活した島根県の松江があります。 松江には旧宅が残され,また後に名乗る「小泉八雲記…
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(4) ラフカディオ・ハーン 前編

ラフカディオ・ハーンについてはこれまで何度も書いてきたので,詳細は略します。 ギリシャ生まれのイギリス人で,アメリカで記者などをしていました。そして1890年に日本にジャーナリストとしてやってきます。 これは同行した画家が描いたハーンの後ろ姿。(LHとイニシャルが描いてあります。) まあ,ハーンはこの画家よ…
コメント:2

続きを読むread more

閑話休題 初めて富士山に登った西洋人は?

前々回,アメリカ人の著作家・写真家・地理学者のエリザ・ルアマー・シドモアが1880年代に富士山に登った話を書きました。 でも,彼女は西洋人で初めて登った人でも初めての女性でもありません。 外国人(西洋人)として初めて富士山頂に立ったのはイギリス特命全権公使のラザフォード・オールコック(Sir John Ruthe…
コメント:2

続きを読むread more

Haiku in English on Sunday (638) 懸命な吾子の一歩よ今朝の冬

日曜日は俳句の紹介と英訳。 先日7日の立冬を過ぎたと思ったら,本当に寒さが進みました。昨日の朝,私が住んでいる仙台市西部は車のフロントガラスが朝に凍っていました。 「立冬」はもちろん冬の季語ですが,立冬の朝のことを「今朝の冬」といい,冬になったという気持ちを強調する季語になっています。 懸命な吾子の一歩よ今朝の冬  長谷川…
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(3) エリザ・シドモア 後編

エリザ・シドモア一行の富士登山の続きです。 現在の富士登山コースは4つありますが,須走(すばしり)村に寄っていること,古御岳神社を通った記述があるので今でいう「須走コース」でしょう。 男性4人,女性3人,日本人2人の一行が雇ったポーターは15人。そのうち3名が1組となりそれぞれ女性につきます。 その3名は女…
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(2) エリザ・シドモア 前編

前回のイザベラ・バードに続いては,アメリカの著作家・写真家・地理学者のエリザ・ルアマー・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore,1856-1928)です。 アイオワ州に生まれた彼女が旅行に関心を抱いたのは,外交官の兄ジョージ・シドモアによる所が大きいようで,エリザはしばしば兄の任務に同行し,外交官という地位…
コメント:2

続きを読むread more

明治の外国人が見た富士山(1) イザベラ・バード

幕末の外国人が見た富士山について過去数回に分けて書いてきましたが,勢いで「明治」の世に訪れた外国人が描いた富士山についても書いていきます。 明治の第1回目は,1878年(明治11年),日本を訪れたイギリス人で旅行家・探検家のイザベラ・バード。 彼女は6月から通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし,東京を起点に…
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(6) ロバート・フォーチュン

前回のシュリーマンに続き,政府関係者ではなく民間外国人が描いた幕末の富士山。 ロバート・フォーチュン(Robert Fortune,1812-1880)はスコットランド出身の植物学者,プラントハンター,商人。 植物採集のために幕末の長崎,江戸,北京などを歴訪しました。 日本では桜田門外の変や生麦事件など生々しい見聞も記…
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(5) シュリーマン

幕末の日本開国に重要な役割を果たした3人が記述した「富士山」について書きましたが,今回はドイツの考古学者,実業家のハインリッヒ・シュリーマン。 トロイア遺跡発掘に先立つ6年前,シュリーマンは世界旅行の途中,中国につづき幕末の日本を訪れました。 講談社学術文庫「シュリーマン旅行記 清国・日本」から。 原文はフ…
コメント:2

続きを読むread more

Haiku in English on Sunday (637) 供花揺らし色なき風の行きにける

日曜日は俳句の紹介と英訳。 暦の上ではもうすぐ立冬です。秋の句について書くのも最後になるのでしょうか。 この日曜俳句も書いていると,同じ季語を取り上げることが多くなります。 今回は過去に1回だけ取り上げたことがある秋の季語の句です。 供花揺らし色なき風の行きにける  近藤紀子 (くげゆらしいろなきかぜのゆきにける) …
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(4) 初代駐日公使・ハリス 前編

ペリー,ウィリアムズ,と来れば,初代駐日公使のタウンゼント・ハリスを忘れるわけにはいけません。 大学時代に,神奈川出身の友人がハリスは富士山に感動したという話をしたのを覚えています。 ハリスの「日本滞在記」は1855年~1858年の日記で,原題は "The complete journal of Townsend Har…
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(3) ペリーとウィリアムズの原文

過去2回,黒船来航のペリー提督と首席通訳官のウィリアムズがどう富士山を描写したのか,日本語訳から引用しましたが,原文が何とか見つかりましたので,紹介したいと思います。 気になるのは,2人とも「富士山」を「Fusi」または「Mount Fusi」と書いています。 当時の日本人の発音がそうなのでしょうか? まずはペリー提督から…
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(2) 通訳官ウィリアムズ

幕末に日本にやって来たが外国人が富士山をどう記録したか,日本語訳ではありますが,前回の続き。 前回は「黒船」でやって来たペリー提督ですが,今回はその一行の首席通訳官のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ。 彼が書いた「ペリー日本遠征随行記」より。 ちなみに,この本の正式な名前は, A Journal of t…
コメント:2

続きを読むread more

幕末の外国人が見た富士山(1) ペリー

約1か月前に,ペリー来航のときの日本の力士とアメリカ兵の初めてのスポーツ交流について書きました。 そのときから,いつか書こうと思っていたのですが,幕末に訪れた多くの外国人が富士山を描写していて,どう描写したのかを書いてみようと思います。 まずは「ペリー提督日本遠征記」より。 ペリー一行は1853年の西洋…
コメント:2

続きを読むread more

富谷市 とみやど

先日,一度行ってみたかった仙台市泉区の「自家製太麺 渡辺」に行って,「DXらー麺」を食べました。 昼に食べたのですが,腹持ちがよいのか,その日の夕飯は食べませんでした。 せかっく「渡辺」に行ったので,近くにどこか行っていないところがないかと検索し,家族で富谷市の「とみやど」に行ってきました。 富谷市のイメージは…
コメント:2

続きを読むread more

恐竜山に登る

恐竜山は仙台市太白区八木山にある超低山。登山アプリ YAMAP のも載っています。 日本一標高の高い地下鉄の駅,八木山動物公園駅(136.4m)からでも歩いて行くことができます。 おそらく恐竜山の標高は120mほど。 なぜ,私がこの山を知ったかと言えば,地元の情報誌「りらく」に載っていたから。 写真の山が恐竜山。…
コメント:2

続きを読むread more

Haiku in English on Sunday (636) 団栗の寝ん寝んころりころりかな

日曜日は俳句の紹介と英訳。 前回,中島みゆきさんのことを書きましたが,彼女は大学生のときに英詩を訳す授業で「七五調こそ和訳」だと授業で披露したら全員大爆笑で,先生に「七五の人」と呼ばれたそうです。 その片鱗か,「時代」にも七五調があります。 「そんな時代も あったねと いつか話せる 日が来るわ あんな時代も あっ…
コメント:4

続きを読むread more